2010年12月27日
雪洞の中から見えたもの。
全盛期の"Ozzy" OsbourneがSystem Of A Downの新曲をプロデュースするのでもなければこのように狂ったリズムを再現するのは不可能かもしれないと思った。秒速18mの風が幕体にぶち当たり叩き付け揺さぶる音はそこに居る無力な者の貧弱な鼓膜を突き抜け三半規管のそれらしい箇所にしっかりと余韻を残していたので、翌朝、雪洞の中に潜り込んだときはその静けさに慣れるまでここではない別のどこか違う宇宙空間にでも迷い込んでしまった風な錯覚に少し目眩を覚えた。
「静かだね」
とkool8は言った。
「ここが一番、寝心地よかったろうね」
と私は言った。
われわれのように、と一括りにするのも失礼な話だが、亜流のハイカーとは違いおそらく列記とした山岳会の人たちが残していった雪洞の中は、静かで暖かく小屋を除けば半径5km内の他のどの場所よりも落ち着く空間と言えた。12/18〜12/19、谷川岳 肩の小屋でのことである。 続きを読む
2009年11月24日
2009年09月18日
ブログ主はまたちょっと旅へ。
2009年08月26日
沢ルポ、あるいはゴルジュと言いたかっただけルポ。
こんにちは。鳥です。
今ごろ会社の女子に「こんなとこ登ったの!?スゴーイ」とキャァキャァ黄色い声を一身に受けていたはずである。しかし、目論見は外れた。私の緻密なモテモテ作戦が、わずか一点の狂いだけで儚い夢と終わってしまった。おまえのせいだ。おまえが私の幸福なる未来奪い去ったのだ。嗚呼、おそるべきゴルジュよ。
説明しよう、ゴルジュとは岸壁の狭まった峡谷を指す登山用語。水流の多い沢では切り立った崖に滝が流れ、最も危険なポイントの一つだ。
いったい、tori-birdに何が起こったのか。
続きを読む
今ごろ会社の女子に「こんなとこ登ったの!?スゴーイ」とキャァキャァ黄色い声を一身に受けていたはずである。しかし、目論見は外れた。私の緻密なモテモテ作戦が、わずか一点の狂いだけで儚い夢と終わってしまった。おまえのせいだ。おまえが私の幸福なる未来奪い去ったのだ。嗚呼、おそるべきゴルジュよ。
説明しよう、ゴルジュとは岸壁の狭まった峡谷を指す登山用語。水流の多い沢では切り立った崖に滝が流れ、最も危険なポイントの一つだ。
いったい、tori-birdに何が起こったのか。
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2009年07月26日
NULっと大菩薩へ。
こんにちは。鳥です。
▼福ちゃん荘で幕営。
おや。見慣れぬテントですね。
▼大菩薩峠でかき氷。
がじがじ氷でした。
▼裂石方面に下山すると
なんと桃が無料でした。
ただいまバス待ち中。
▼福ちゃん荘で幕営。
おや。見慣れぬテントですね。
▼大菩薩峠でかき氷。
がじがじ氷でした。
▼裂石方面に下山すると
なんと桃が無料でした。
ただいまバス待ち中。
2009年06月30日
やっちゃいました、ゆる登山!
2009年06月27日
クマが出たので下山しました。
だってチキン野郎だもの。
この分岐からだと15分ぐらい先。
場所は林道から石尾根縦走路に入って30分ぐらいのところ。先行した年輩のハイカーが慌てて降りてきて、「クマが出た~」と。
聞くところによると、登山道の脇からいきなり姿を現したそうで、体長は1メートル超、「親子かもしれない」とのことでした。
かつて目黒の熊殺しとまで恐れられた私ですから、闘う覚悟満々で突破するつもりでしたけれども、どうしても行きたいなら俺を倒してから行けと言われたので、泣く泣く断念しました。嘘です。
いや、熊が出たのは本当なので、石尾根を降りてこようと思ってる方は重々お気をつけください。
しかし降りてきたはいいものの、今からどうしよう。迷ってばかりの人生です。
この分岐からだと15分ぐらい先。
場所は林道から石尾根縦走路に入って30分ぐらいのところ。先行した年輩のハイカーが慌てて降りてきて、「クマが出た~」と。
聞くところによると、登山道の脇からいきなり姿を現したそうで、体長は1メートル超、「親子かもしれない」とのことでした。
かつて目黒の熊殺しとまで恐れられた私ですから、闘う覚悟満々で突破するつもりでしたけれども、どうしても行きたいなら俺を倒してから行けと言われたので、泣く泣く断念しました。嘘です。
いや、熊が出たのは本当なので、石尾根を降りてこようと思ってる方は重々お気をつけください。
しかし降りてきたはいいものの、今からどうしよう。迷ってばかりの人生です。
2009年06月18日
北八つに散りかける。
こんにちは。鳥です。
目を覚ましたときからどうも頭が鈍く痛んだ。ナイフで突き刺すようにではなく、縄で締め付けられるように、鈍く、だ。コンビニで購入しておいた鮭おにぎりをほお張りながら、噛むリズムと正確に連動したこめかみを襲う疼きの感覚を確かめていた。早朝8時、普段なら通勤電車に揺られている時間だが、ここにはわずかな睡眠を貪ろうと座席を奪い合うサラリーマンもいなければ、高いヒールをカツカツ鳴らして香水を振りまくOLもいない。代わりにあるのは鳥たちのさえずりと、小川のせせらぎ。耳に伝わる心地よい響き、であるはずだった。空はどんよりと曇り、湿り気を帯びた冷たい風が吹き抜けた。
八ヶ岳山麓、渋の湯の登山口にて。
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目を覚ましたときからどうも頭が鈍く痛んだ。ナイフで突き刺すようにではなく、縄で締め付けられるように、鈍く、だ。コンビニで購入しておいた鮭おにぎりをほお張りながら、噛むリズムと正確に連動したこめかみを襲う疼きの感覚を確かめていた。早朝8時、普段なら通勤電車に揺られている時間だが、ここにはわずかな睡眠を貪ろうと座席を奪い合うサラリーマンもいなければ、高いヒールをカツカツ鳴らして香水を振りまくOLもいない。代わりにあるのは鳥たちのさえずりと、小川のせせらぎ。耳に伝わる心地よい響き、であるはずだった。空はどんよりと曇り、湿り気を帯びた冷たい風が吹き抜けた。
八ヶ岳山麓、渋の湯の登山口にて。
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2009年05月12日
いまるぷさんと愉快な仲間たち。後編。
こんにちは。鳥です。
相変わらず時間軸がクロスしながら仕事に追われる現実との乖離に苦しむ拙ブログだが、記憶を頼りに思い出そうとすればするほど私の心は未だあの櫛形山の山頂に置き忘れたままだということに気付かされる。東京は昨日・今日と夏日を迎え、長袖シャツを着ていようものなら汗だくで自販機のコーラを連打しそうになるが、それなのにあの寒かった山頂で過ごしたひと時ほどにはあたたかい気分になることはできない。ラテン系が陽気なのは暑さのせいだというが、それはあくまでも俗説に過ぎないことも今ならよくわかる。春だというのに気温5℃を下回るあの山頂にいた人々は、暑さ寒さなど関係ないとばかりに、なかば狂気じみた高揚感に始終包まれていたからだ。それもこれも酒の力だ?ああたしかに、酒は酒としてブースターの役目を果たした事実に疑いはない。
◆
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相変わらず時間軸がクロスしながら仕事に追われる現実との乖離に苦しむ拙ブログだが、記憶を頼りに思い出そうとすればするほど私の心は未だあの櫛形山の山頂に置き忘れたままだということに気付かされる。東京は昨日・今日と夏日を迎え、長袖シャツを着ていようものなら汗だくで自販機のコーラを連打しそうになるが、それなのにあの寒かった山頂で過ごしたひと時ほどにはあたたかい気分になることはできない。ラテン系が陽気なのは暑さのせいだというが、それはあくまでも俗説に過ぎないことも今ならよくわかる。春だというのに気温5℃を下回るあの山頂にいた人々は、暑さ寒さなど関係ないとばかりに、なかば狂気じみた高揚感に始終包まれていたからだ。それもこれも酒の力だ?ああたしかに、酒は酒としてブースターの役目を果たした事実に疑いはない。
◆
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2009年05月07日
いまるぷさんと愉快な仲間たち。前編。
こんにちは。鳥です。
その報せを耳にしたのは、雲取山へ出発する前日。あのいまるぷさんが、事故に遭われたという。他のブロガーや大勢の読者と同様、「あのブログがもう見れなくなるのか!」と、反射的にそう思った。ただ、よく考えればそれを確認したのもブログの記事。命に別状はないということだ。
「歴戦の山男のことだから、かんたんに死にやしないだろう」
ホッと胸を撫で下ろし、励ましのコメントなどを残しておいた。が、どうも気になり、不安が募ってくるのだ。あの達筆で知られたいまるぷさんの、どこかおかしなその文体に。
>いまるぷは今朝、交通事故に会いましょう、いえ会いました。
>入院するハメ、更新をしばらく休むのだ。
>ということです。では。
これは、頭を打ったに違いない、と。 続きを読む
その報せを耳にしたのは、雲取山へ出発する前日。あのいまるぷさんが、事故に遭われたという。他のブロガーや大勢の読者と同様、「あのブログがもう見れなくなるのか!」と、反射的にそう思った。ただ、よく考えればそれを確認したのもブログの記事。命に別状はないということだ。
「歴戦の山男のことだから、かんたんに死にやしないだろう」
ホッと胸を撫で下ろし、励ましのコメントなどを残しておいた。が、どうも気になり、不安が募ってくるのだ。あの達筆で知られたいまるぷさんの、どこかおかしなその文体に。
>いまるぷは今朝、交通事故に会いましょう、いえ会いました。
>入院するハメ、更新をしばらく休むのだ。
>ということです。では。
これは、頭を打ったに違いない、と。 続きを読む
2009年05月01日
我々はいかにして式根島行きを断念したか。
こんにちは。鳥です。
いい加減にアップしないと怒られちゃうですタイ!
さかのぼること3週間ほど前。バードメンさんの神津島行きの記事に触発されたのか、はたまた私のこの記事に刺激されたのか、あるいは「島に行けばスケベな水着のねーちゃんとムフフ」との妄想がそうさせたのか、私に知る術はありませんが、「式根島行くんだけど」とお誘いを受けたのです。「本籍地:道志の森」こといのうえさんからだ。
「いくいくーいくだプー」
との丁重な返事をしたため、もどかしく当日を待っていたのですが、どうも天候が思わしくなさげ。奥多摩で一度も雨に降られたことのない私なのに、これはおかしいです。なにせ島。船が接岸できなければ上陸できないし、仮に上陸できたとしても復路も就航されるとは限りません。現に私が3年前に式根島へ行ったときも、そうでした。
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いい加減にアップしないと怒られちゃうですタイ!
さかのぼること3週間ほど前。バードメンさんの神津島行きの記事に触発されたのか、はたまた私のこの記事に刺激されたのか、あるいは「島に行けばスケベな水着のねーちゃんとムフフ」との妄想がそうさせたのか、私に知る術はありませんが、「式根島行くんだけど」とお誘いを受けたのです。「本籍地:道志の森」こといのうえさんからだ。
「いくいくーいくだプー」
との丁重な返事をしたため、もどかしく当日を待っていたのですが、どうも天候が思わしくなさげ。奥多摩で一度も雨に降られたことのない私なのに、これはおかしいです。なにせ島。船が接岸できなければ上陸できないし、仮に上陸できたとしても復路も就航されるとは限りません。現に私が3年前に式根島へ行ったときも、そうでした。
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2009年03月03日
入笠山でスノーハイク。
2009年02月26日
雲取山登頂記。
こんにちは。鳥です。
あれは道行く人がコートを羽織っていた3月末、私の身分はまだ学生で、名古屋にいた。正しくは通過していたと言うべきか、当時乗っていたフォーサイトというホンダのビッグスクーターにまたがり、アクセルをひねりながら頭もひねっていた。財布の中は空っぽだったが、頭の中も空っぽだった。翌々日から新入社員としての日々が始まるというのに、ネクタイの結び方もろくに覚えないまま旅に出ていたのだ。
話しが前後してすまないが、これからますます込み入ってくるので覚悟してほしい。ややこしいレトリックに付き合わされるのが我慢ならないなら、おとなしくroadmanの遊具大全にでも遷移することをおすすめしておこう。もっともあちらでは時に難解な論理力を要求されることもあるだろうが。
当時付き合っていた女性をリアシートに乗せて、東京を発ち久里浜から宮崎行きのフェリーに揺られ(すでに廃線となったが)、九州を南下して屋久島へと向かったのだ。現地で1週間ほどを過ごした後に再び九州を北上し、四国、大阪へと渡り、新幹線で帰る彼女を下ろして名古屋に着いたのは旅を始めてから2週間が経過した昼すぎのこと。
「このまま帰るのはつまらない」
鈴鹿山脈を越えたあたりからそう思っていた。しかしながら、猶予はもはや今日と明日しかない。せっせとコロニーの修復に励む働き蜂のように、社会に隷属する日々が始まるのだ。短編映画のエンドロールさながら、私には学生生活の余韻を楽しむ時間は残されていなかったのである。
東海道を行けば10時間後には自宅であたたかい風呂に入れるだろう。そして翌日から始まる新たな日々に思いをめぐらせながら、落ち着かない一日を過ごすわけだ。3度の食事を取り、20本のタバコを吸い、100回の寝返りを打てば、私の身分は「社会人」に変わっている。つまりはそんな不安と焦りに追い詰められた一日を過ごすのは、まっぴらごめんだと思ったのだ。
カントやゲーテについて論じるまでもなく、ましてやわざわざフロイトを持ち出すまでもなく、私は人の動機のメカニズムを理解している。何のことはない、人は「なんとなく」「そうしよう」と「思う」だけだ。その必然性に、私は従うことにした。そう、「日本海に昇る朝日が見たいな」と。
進路を中山道に変え、まだ雪の残る長野を縦断し、新潟に着いた頃にはすでに深夜。日の出を見るのに都合のいいスポットを探す。地名はもう覚えていないが、だだっ広い浜辺に出た私は、夜が明けるまでそこに座っていようと覚悟を決めた。革ジャンの下にはニットを二枚重ね、ジーンズの下にはタイツ、足元はブーツで固められていたが、それでも日本海の厳しい底冷えには抗しがたい。ようやくあたりが白んでくるころには、奥歯をカタカタ鳴らす少々スタッカートの掛かったリズムをすっかりマスターしていた。
いよいよくる。朝日がくる。私はただただその一瞬を待った。それを拝むことさえできれば、その後の成功が約束されるとでもいうように。平凡なサラリーマンになんか、なってやるもんか!と心の中で叫びながら。
そして今、私はしがないサラリーマンとして――まぁネクタイの結び方で悩む羽目にはならなかったが――退屈な会社通いを続けている。なぜかって?勘のいいあなたならもう気付いているに違いない。
朝日は東から昇るのだ。
◆雲取山登頂記。
朝日はどこから出ている?
9時、私は再び東日原のバス停にいた。気温は8℃か9℃。いつものファイントラック・スキンメッシュにpatagonia キャプ3、ホグロフス バリヤーベストにOR ミスリルストームシェルでは暑いぐらいだ。
じつはここに到着するまで今日のルートを決めかねていた。大ダワを回り雲取へ至るか、鷹ノ巣山を経て石尾根を歩くか。前者は林道を2時間以上歩かされ、後者は地図に「急登」とある。まぁ、せっかく山登りに来たのだ。わざわざ好んでアスファルトを歩きたくない。中日原から稲村岩尾根を経て、鷹ノ巣、石尾根、雲取というコースに決定する。16時には小屋に着いておきたい。
看板の横に見えるのが稲村岩。
そもそもどうして前回登ったばかりなのに、また雲取へ向かうのか。結果的には私にも説明しようがなくなってしまったが、まぁきっかけはkimatsuさんに誘われたからだ。茶柱さんといのうえさんもいらっしゃるという。「小屋でヤキヤキしませんか」とかなんとか言われたような気がする。「御鶏様が食えますよぐふふぐふふふふふ」みたいな甘い言葉をささやかれた気がしないでもない。
にも関わらず、おどろくなかれ、茶柱さんしか来なかったのである。いや、二人の名誉のために補足しておくなら、「来なかった」ではなく「来れなかった」と言うべきだろうか。しかし、そこに至るアプローチはそれぞれ大きく異なる。kimatsuさんはおそらく家庭の事情で、前日に行けなくなったと連絡があった。「ふだん遊びほうけている罰が当たったのだ」と嘲笑うのは、実態がどうであれ、さすがに酷というものだろう。
「寝坊しちゃいました」
といのうえさんからメールが届いたのは、登山道に入り日原川を越えたあたりのこと。愕然とした。唖然としながら歩いていると、ルートをいきなり間違えてしまう。分かれ道で、本来まっすぐ進むべきところを、右の急斜面に取り付いてしまった。ガラガラ崩れる岩と格闘し、掴んだ木の根は切れ端で、背後に転倒しかけて何mか滑り落ちる。しかし、ルートを示すオレンジ色のテープはしっかり木に巻いてあったのだ。途中までは。
たしかに地図には「急登」とあったが、これはさすがに尋常じゃない。テープもなくなり何かが違うとようやく気付き、コンパスを見ると正面は「北やや西寄り」を指していた。どうやら、八丁山に登ろうとしているようだ。もちろんそこを目指しているわけではない。斜面を見下ろし、「またすっ転ぶのか」とため息をついたが、楽々にとはいかないまでも、すんなり下りることができた。岩が多かったこと、そして私の履いてるバスク ベクターミッドのステルスソールとの相性が抜群だったと言う他ない。
遅れを取り戻すため、ノンストップで登る。稲村岩にも立ち寄らず。長沢背稜を背に、ぐんぐん高度を上げていく。ただ、鷹ノ巣の手前の「ヒルメシクイノタワ」というポイントでは、そのネーミングに素直に負けを認め、昼食を取る。すでに13時を回っていた。
鉄火巻。山で海の幸がナウいトレンドだ。
13時45分、「キャーすごーい」という声が聞こえ、斜面を登りきると鷹ノ巣山に出た。女性が二人、男性一人のグループがいる。学生だろうか。こんなとき30歳の独身男性は、自らの意思で自らを隅っこへと追いやるのだ。ただし、「写真を撮ってください」と言うので撮ってあげた。右の子がどうしても目をつぶるので、二度撮り直しだ。
女の子がつくっていた雪だるま。立ち去るのを待って撮影。
富士山が見えた。
14時。石尾根を歩く。途中、全ての山頂を巻いていく。道はぬかるみ、靴は泥だらけ。天気だけはいつものように最高だ。15時50分、七ツ石山に到着。ここでauの電波が奇跡的に入り、ブログにコメント。
奥多摩小屋に着いたのは17時。ぼちぼち日が暮れようとしている。沈んでいく夕陽を撮影していたら、当然ながら、日が暮れてしまった。
小雲取手前。夕陽に染まる斜面。
18時、雲取避難小屋に到着。扉を開けると、目の前で宴会が行われている。これじゃ、入りようがない。30歳独身男性は自動的に小屋の裏手へ回り、ビヴィでひとり眠るのだ。茶柱さんを見つけることもできずじまい。
◆
5時半に起きた。小屋前のツェルトの方に聞くと、昨晩は-9℃くらいまで達したという。シュラフの中はホカホカだったが、外に出れば厳しい寒さである。待つ。じっとして待つ。6時21分、日が顔を出す。
閃光はまたたく間に広がり、頭上の空間の暗い領域を駆逐して、世界は再び明るさを取り戻すのだ。
二度、拍手を打ち、いまるぷさんの快復を祈願。頼まれたわけでもないのに、役目を全うした気分でほっとする。
さぁ、あとは下山するだけだ。のんびり朝食を支度して、チャイラテを飲みながらルートを選ぶ。三條を回るか、野陣尾根を伝って、あるいは大ダワから日原へ抜けるか。基本的に、ピストンは選択肢にない。
「三條は林道に出てからが長くて地獄ですよ。野陣尾根はマイナーだからトレースがあるかなぁ」
ツェルトの男性の答えだ。大ダワから日原へ抜けることにする。
雲取山頂から山荘までの下りは、ところどころ、氷職人も妬むほどのつるつるのアイスバーンだ。前回きたときもそうだった。しかし、今回もアイゼンを使わなかった。結局、二日間通して一度も装着することはなかった。結局、この冬を通して一度も装着することはなかった、と振り返ることになるかもしれない。
8時30分、大ダワ林道に入る。トレースは一つ。新雪にしっかり踏みつけてあり、明瞭。20分ほど歩くと水場があった。「ぴゃー」と鹿が鳴く声が聞こえる。こちらも口笛で応えると、「ぴゃー」と返事が戻る。
大ダワ林道は崩落箇所が20以上あったろうか。ガラガラと石の転がる音が頻繁に聞こえる。岩陰に隠れて難を逃れたが、拳大の石が頭上を襲うこともあった。トレイルの傾斜はゆるく谷間の接続点と崩落箇所を除けば歩きやすいが、あまり好んで選ぶべきルートとは思わなかった。特に渡渉ポイントもあるので、雨の翌日はよほどのことがなければ歩きたくない。
携帯電話の充電が切れたので、正確な時刻は定かでないが、12時頃に長沢谷降下点に到着。下山するだけだからといっても、いくらなんでものんびり歩きすぎた。ちょっと急ごうかと思ってストックに力を込めた矢先、ルートを見失う。長沢谷降下点がわからないのだ。
斜面を横切る形で踏み跡はある。が、テープも標識もない。対岸に林道は見えるものの、どこから川に降下したらいいのか選びきれない。もう少し先へ行くべきか。傾斜がきつく、土壌もゆるく、岩はガラガラ崩落する。気付けば上下左右、全方面を包囲されていた。ここで捻挫でもしたら、「身動きが取れなくなった」と救援されるパターンである。昨日といい今日といい、いつもの通り、迷ってばかりだ。
「急がば回れ」とはよく言ったもので、自らの踏み跡をたどると降下点のトレースがうっすら見えてきた。すぐに九十九折れの登山道が明瞭になり、川に下りることができた。靴がひどい有様に成り果てていたので、川の水でじゃぶじゃぶ洗う。
あとはひたすら延々アスファルトの上を歩くのみ。途中、天祖山の登山ルートがあったが、かなりきつそうな取り付きに見えた。そして採石場の崖には見たこともない巨大なスズメバチの巣が二つもぶら下がっていた。
東日原のバス停に到着。郵便局の時計で確認すると、14時55分。バスの出発時刻は14時50分。次は16時17分だ。ふぁっくふぁっく。
◆
もえぎの湯に立ち寄り、垢の浮いた湯船で疲れを取り、18時すぎの電車に乗って帰った。
そしてまだ、今これを書いている最中でも、体のふしぶしの痛みが取れていない。前回、前々回ともっと距離を歩いたが、これほどまでではなかった。おそらく1日目、2日目と2度のルートロストが原因だろう。正味2時間ほどの格闘に過ぎないが、全身を使っての急傾斜の登攀や、滑落を耐える姿勢、崩落しそうな箇所を飛び越えるなどの動きは、短時間であれ体に大きな負担を強いるようだ。
道を外れると、痛い目に遭う。
自ら道を切り開くタフな精神と体力を養わなかった者に対する罰であろう。私は未だにサラリーマンを続けているのである。
あれは道行く人がコートを羽織っていた3月末、私の身分はまだ学生で、名古屋にいた。正しくは通過していたと言うべきか、当時乗っていたフォーサイトというホンダのビッグスクーターにまたがり、アクセルをひねりながら頭もひねっていた。財布の中は空っぽだったが、頭の中も空っぽだった。翌々日から新入社員としての日々が始まるというのに、ネクタイの結び方もろくに覚えないまま旅に出ていたのだ。
話しが前後してすまないが、これからますます込み入ってくるので覚悟してほしい。ややこしいレトリックに付き合わされるのが我慢ならないなら、おとなしくroadmanの遊具大全にでも遷移することをおすすめしておこう。もっともあちらでは時に難解な論理力を要求されることもあるだろうが。
当時付き合っていた女性をリアシートに乗せて、東京を発ち久里浜から宮崎行きのフェリーに揺られ(すでに廃線となったが)、九州を南下して屋久島へと向かったのだ。現地で1週間ほどを過ごした後に再び九州を北上し、四国、大阪へと渡り、新幹線で帰る彼女を下ろして名古屋に着いたのは旅を始めてから2週間が経過した昼すぎのこと。
「このまま帰るのはつまらない」
鈴鹿山脈を越えたあたりからそう思っていた。しかしながら、猶予はもはや今日と明日しかない。せっせとコロニーの修復に励む働き蜂のように、社会に隷属する日々が始まるのだ。短編映画のエンドロールさながら、私には学生生活の余韻を楽しむ時間は残されていなかったのである。
東海道を行けば10時間後には自宅であたたかい風呂に入れるだろう。そして翌日から始まる新たな日々に思いをめぐらせながら、落ち着かない一日を過ごすわけだ。3度の食事を取り、20本のタバコを吸い、100回の寝返りを打てば、私の身分は「社会人」に変わっている。つまりはそんな不安と焦りに追い詰められた一日を過ごすのは、まっぴらごめんだと思ったのだ。
カントやゲーテについて論じるまでもなく、ましてやわざわざフロイトを持ち出すまでもなく、私は人の動機のメカニズムを理解している。何のことはない、人は「なんとなく」「そうしよう」と「思う」だけだ。その必然性に、私は従うことにした。そう、「日本海に昇る朝日が見たいな」と。
進路を中山道に変え、まだ雪の残る長野を縦断し、新潟に着いた頃にはすでに深夜。日の出を見るのに都合のいいスポットを探す。地名はもう覚えていないが、だだっ広い浜辺に出た私は、夜が明けるまでそこに座っていようと覚悟を決めた。革ジャンの下にはニットを二枚重ね、ジーンズの下にはタイツ、足元はブーツで固められていたが、それでも日本海の厳しい底冷えには抗しがたい。ようやくあたりが白んでくるころには、奥歯をカタカタ鳴らす少々スタッカートの掛かったリズムをすっかりマスターしていた。
いよいよくる。朝日がくる。私はただただその一瞬を待った。それを拝むことさえできれば、その後の成功が約束されるとでもいうように。平凡なサラリーマンになんか、なってやるもんか!と心の中で叫びながら。
そして今、私はしがないサラリーマンとして――まぁネクタイの結び方で悩む羽目にはならなかったが――退屈な会社通いを続けている。なぜかって?勘のいいあなたならもう気付いているに違いない。
朝日は東から昇るのだ。
◆雲取山登頂記。
朝日はどこから出ている?
9時、私は再び東日原のバス停にいた。気温は8℃か9℃。いつものファイントラック・スキンメッシュにpatagonia キャプ3、ホグロフス バリヤーベストにOR ミスリルストームシェルでは暑いぐらいだ。
じつはここに到着するまで今日のルートを決めかねていた。大ダワを回り雲取へ至るか、鷹ノ巣山を経て石尾根を歩くか。前者は林道を2時間以上歩かされ、後者は地図に「急登」とある。まぁ、せっかく山登りに来たのだ。わざわざ好んでアスファルトを歩きたくない。中日原から稲村岩尾根を経て、鷹ノ巣、石尾根、雲取というコースに決定する。16時には小屋に着いておきたい。
看板の横に見えるのが稲村岩。
そもそもどうして前回登ったばかりなのに、また雲取へ向かうのか。結果的には私にも説明しようがなくなってしまったが、まぁきっかけはkimatsuさんに誘われたからだ。茶柱さんといのうえさんもいらっしゃるという。「小屋でヤキヤキしませんか」とかなんとか言われたような気がする。「御鶏様が食えますよぐふふぐふふふふふ」みたいな甘い言葉をささやかれた気がしないでもない。
にも関わらず、おどろくなかれ、茶柱さんしか来なかったのである。いや、二人の名誉のために補足しておくなら、「来なかった」ではなく「来れなかった」と言うべきだろうか。しかし、そこに至るアプローチはそれぞれ大きく異なる。kimatsuさんはおそらく家庭の事情で、前日に行けなくなったと連絡があった。「ふだん遊びほうけている罰が当たったのだ」と嘲笑うのは、実態がどうであれ、さすがに酷というものだろう。
「寝坊しちゃいました」
といのうえさんからメールが届いたのは、登山道に入り日原川を越えたあたりのこと。愕然とした。唖然としながら歩いていると、ルートをいきなり間違えてしまう。分かれ道で、本来まっすぐ進むべきところを、右の急斜面に取り付いてしまった。ガラガラ崩れる岩と格闘し、掴んだ木の根は切れ端で、背後に転倒しかけて何mか滑り落ちる。しかし、ルートを示すオレンジ色のテープはしっかり木に巻いてあったのだ。途中までは。
たしかに地図には「急登」とあったが、これはさすがに尋常じゃない。テープもなくなり何かが違うとようやく気付き、コンパスを見ると正面は「北やや西寄り」を指していた。どうやら、八丁山に登ろうとしているようだ。もちろんそこを目指しているわけではない。斜面を見下ろし、「またすっ転ぶのか」とため息をついたが、楽々にとはいかないまでも、すんなり下りることができた。岩が多かったこと、そして私の履いてるバスク ベクターミッドのステルスソールとの相性が抜群だったと言う他ない。
遅れを取り戻すため、ノンストップで登る。稲村岩にも立ち寄らず。長沢背稜を背に、ぐんぐん高度を上げていく。ただ、鷹ノ巣の手前の「ヒルメシクイノタワ」というポイントでは、そのネーミングに素直に負けを認め、昼食を取る。すでに13時を回っていた。
鉄火巻。山で海の幸がナウいトレンドだ。
13時45分、「キャーすごーい」という声が聞こえ、斜面を登りきると鷹ノ巣山に出た。女性が二人、男性一人のグループがいる。学生だろうか。こんなとき30歳の独身男性は、自らの意思で自らを隅っこへと追いやるのだ。ただし、「写真を撮ってください」と言うので撮ってあげた。右の子がどうしても目をつぶるので、二度撮り直しだ。
女の子がつくっていた雪だるま。立ち去るのを待って撮影。
富士山が見えた。
14時。石尾根を歩く。途中、全ての山頂を巻いていく。道はぬかるみ、靴は泥だらけ。天気だけはいつものように最高だ。15時50分、七ツ石山に到着。ここでauの電波が奇跡的に入り、ブログにコメント。
奥多摩小屋に着いたのは17時。ぼちぼち日が暮れようとしている。沈んでいく夕陽を撮影していたら、当然ながら、日が暮れてしまった。
小雲取手前。夕陽に染まる斜面。
18時、雲取避難小屋に到着。扉を開けると、目の前で宴会が行われている。これじゃ、入りようがない。30歳独身男性は自動的に小屋の裏手へ回り、ビヴィでひとり眠るのだ。茶柱さんを見つけることもできずじまい。
◆
5時半に起きた。小屋前のツェルトの方に聞くと、昨晩は-9℃くらいまで達したという。シュラフの中はホカホカだったが、外に出れば厳しい寒さである。待つ。じっとして待つ。6時21分、日が顔を出す。
閃光はまたたく間に広がり、頭上の空間の暗い領域を駆逐して、世界は再び明るさを取り戻すのだ。
二度、拍手を打ち、いまるぷさんの快復を祈願。頼まれたわけでもないのに、役目を全うした気分でほっとする。
さぁ、あとは下山するだけだ。のんびり朝食を支度して、チャイラテを飲みながらルートを選ぶ。三條を回るか、野陣尾根を伝って、あるいは大ダワから日原へ抜けるか。基本的に、ピストンは選択肢にない。
「三條は林道に出てからが長くて地獄ですよ。野陣尾根はマイナーだからトレースがあるかなぁ」
ツェルトの男性の答えだ。大ダワから日原へ抜けることにする。
雲取山頂から山荘までの下りは、ところどころ、氷職人も妬むほどのつるつるのアイスバーンだ。前回きたときもそうだった。しかし、今回もアイゼンを使わなかった。結局、二日間通して一度も装着することはなかった。結局、この冬を通して一度も装着することはなかった、と振り返ることになるかもしれない。
8時30分、大ダワ林道に入る。トレースは一つ。新雪にしっかり踏みつけてあり、明瞭。20分ほど歩くと水場があった。「ぴゃー」と鹿が鳴く声が聞こえる。こちらも口笛で応えると、「ぴゃー」と返事が戻る。
大ダワ林道は崩落箇所が20以上あったろうか。ガラガラと石の転がる音が頻繁に聞こえる。岩陰に隠れて難を逃れたが、拳大の石が頭上を襲うこともあった。トレイルの傾斜はゆるく谷間の接続点と崩落箇所を除けば歩きやすいが、あまり好んで選ぶべきルートとは思わなかった。特に渡渉ポイントもあるので、雨の翌日はよほどのことがなければ歩きたくない。
携帯電話の充電が切れたので、正確な時刻は定かでないが、12時頃に長沢谷降下点に到着。下山するだけだからといっても、いくらなんでものんびり歩きすぎた。ちょっと急ごうかと思ってストックに力を込めた矢先、ルートを見失う。長沢谷降下点がわからないのだ。
斜面を横切る形で踏み跡はある。が、テープも標識もない。対岸に林道は見えるものの、どこから川に降下したらいいのか選びきれない。もう少し先へ行くべきか。傾斜がきつく、土壌もゆるく、岩はガラガラ崩落する。気付けば上下左右、全方面を包囲されていた。ここで捻挫でもしたら、「身動きが取れなくなった」と救援されるパターンである。昨日といい今日といい、いつもの通り、迷ってばかりだ。
「急がば回れ」とはよく言ったもので、自らの踏み跡をたどると降下点のトレースがうっすら見えてきた。すぐに九十九折れの登山道が明瞭になり、川に下りることができた。靴がひどい有様に成り果てていたので、川の水でじゃぶじゃぶ洗う。
あとはひたすら延々アスファルトの上を歩くのみ。途中、天祖山の登山ルートがあったが、かなりきつそうな取り付きに見えた。そして採石場の崖には見たこともない巨大なスズメバチの巣が二つもぶら下がっていた。
東日原のバス停に到着。郵便局の時計で確認すると、14時55分。バスの出発時刻は14時50分。次は16時17分だ。ふぁっくふぁっく。
◆
もえぎの湯に立ち寄り、垢の浮いた湯船で疲れを取り、18時すぎの電車に乗って帰った。
そしてまだ、今これを書いている最中でも、体のふしぶしの痛みが取れていない。前回、前々回ともっと距離を歩いたが、これほどまでではなかった。おそらく1日目、2日目と2度のルートロストが原因だろう。正味2時間ほどの格闘に過ぎないが、全身を使っての急傾斜の登攀や、滑落を耐える姿勢、崩落しそうな箇所を飛び越えるなどの動きは、短時間であれ体に大きな負担を強いるようだ。
道を外れると、痛い目に遭う。
自ら道を切り開くタフな精神と体力を養わなかった者に対する罰であろう。私は未だにサラリーマンを続けているのである。
2009年02月22日
茶柱さんへ。
こんにちは。鳥です。
茶柱さんへ。私はここにいました。
左のコンクリが雲取避難小屋の壁。19時で-7℃。でも大丈夫でした。
念のため、扉前のツェルトは私ではありません。
お会いできず、残念です。というか、お会いしていたかもしれませんが。
ところで、いのうえさんとkimatsuさんは何処にいたんですか。
どこで油を売っていたんでしょうね。
2/22 6時21分。雲取避難小屋前から。
来れなかった方の分まで、いまるぷさんのご無事を祈っておきました。
そして私も先ほど無事に、帰ってきました。
茶柱さんへ。私はここにいました。
左のコンクリが雲取避難小屋の壁。19時で-7℃。でも大丈夫でした。
念のため、扉前のツェルトは私ではありません。
お会いできず、残念です。というか、お会いしていたかもしれませんが。
ところで、いのうえさんとkimatsuさんは何処にいたんですか。
どこで油を売っていたんでしょうね。
2/22 6時21分。雲取避難小屋前から。
来れなかった方の分まで、いまるぷさんのご無事を祈っておきました。
そして私も先ほど無事に、帰ってきました。
2009年02月18日
週末の予定とか。
こんにちは。鳥です。
雨が回避できるのか微妙な天候。まぁヘタレな私に雨天決行なんて選択肢は毛頭ありませんが、ひとまず仮の予定でも立てておきますか。
1.石尾根縦走コース
石尾根~奥多摩小屋~雲取~大ダワ~東日原
2.湯けむり温泉コース
鴨沢~雲取~三條の湯~サオラ峠~丹波天平~親川
3.長沢背稜貫通コース
七跳尾根~酉谷山~熊倉山~白久
どれにするにしろスタート地点は奥多摩駅。
前日の雨が雪になってくれたらうれしいんだけど。それがみんなの願いです。天気さんはくれぐれも空気を読み間違えないよう、よろしくお願いしますよ。
その前に仕事山を越えなければ。
雨が回避できるのか微妙な天候。まぁヘタレな私に雨天決行なんて選択肢は毛頭ありませんが、ひとまず仮の予定でも立てておきますか。
1.石尾根縦走コース
石尾根~奥多摩小屋~雲取~大ダワ~東日原
2.湯けむり温泉コース
鴨沢~雲取~三條の湯~サオラ峠~丹波天平~親川
3.長沢背稜貫通コース
七跳尾根~酉谷山~熊倉山~白久
どれにするにしろスタート地点は奥多摩駅。
前日の雨が雪になってくれたらうれしいんだけど。それがみんなの願いです。天気さんはくれぐれも空気を読み間違えないよう、よろしくお願いしますよ。
その前に仕事山を越えなければ。
2009年02月12日
長沢背稜 踏破の記録。【第二日目】
こんにちは。鳥です。
にわかには信じがたいことだが、昨日、地球の軌道上でロシアの通信衛星とイリジウムの商用衛星が衝突したそうだ。確率的にはいかばかりか。めっきり数字に弱い私にはまるで見当もつかないが、「かつて空は青かった」と子どもたちが教えられて育つ日がやって来るのかもしれない。スペースデブリというやつのせいで。
しかし長沢背稜で見上げていた空のはるか上で、人類史上初めての交通事故が発生するなんて、そのときの私には知る由もなかった。そこにはただただ丸い満月が、稜線上から昇っていただけだ。
◆長沢背稜 踏破の記録 第二日目
稜線上に登る月。
携帯のアラームを消すと、午前5時半をさしていた。昨夜は本を読みながら寝入っていたようだ。おそらく就寝は21時。すると8時間超は寝ていた計算になる。充分だ。筋肉痛も襲ってこない。起きた瞬間から体のほうは準備万端だった。
ところが、今日の行程がまだ決まっていない。予定では長沢背稜をもう少し歩いて、一泊するか、天祖山から下山するはずだった。水をくもうと外に出ると、あたりはまだ薄暗く、稜線上には満月が昇っている。そういえば前回、谷を越えた向こう側で、この満月を見ていた。寒さに震えながら、コーヒーを手に、たどり着けなかった長沢背稜の上で嘲笑うかのように登る月を、ただじっと見ていたのだ。
ようやくここに来れたのか。初めてその実感が沸いた。同時に、なんだ軽いもんだな、という気がしてきたのも事実だ。まるで長沢背稜を歩くことが大冒険かのように感じていた自分がばかばかしく、いくら初心者とは言えその臆病ぶりが情けない。恥ずかしくってブログも書けやしないじゃないか。
よし、ここはいっちょ、足を伸ばしてみるか。まず長沢背稜の踏破。次に、雲取山をピークハントし、そのままの勢いで石尾根縦走だ。コースタイムにして12時間超。長丁場だが、今の時間からなら帰りの電車にも間に合うだろう。二泊の予定を一泊で。ハバHPを持ってきた意味がなくなるが、まぁそれは仕方ない。できれば午前中には雲取山に登頂し、昼食を取って15時までには七ツ石山に達しておきたいと思った。
クランポンは履かなかった。ここまでところどころ凍結箇所はあったが、ストックでバランスを取れば難なくクリアできたし、装着してまた外さなければならなくなったときの手間が嫌だったからだ。
支度を整え小屋を出たのが6時40分。霧というべきか、雲というべきか。日原の谷に向かって、ドライアイスが発する煙のようなそれが、流れるように急降下していく。フワっとしていて、地表面近くに達すると、しばらく余韻を残して静かに消えていった。風の音はしたが、静かな世界だった。
背稜から流れてきた雲が
谷底へ吸い込まれていく。
酉谷から先は昨日までの雪と地面の比率が逆転する。日の当たる箇所以外はほとんど雪で、踏み跡は二つか三つ。だから踏みしめられて凍結している部分は多くなかった。今日も天気は快晴。気温は0℃前後。順調だ。
酉谷小屋近く。
場所によって雪があったりなかったり。
どちらかというと上り調子の平らなトレイルを進む。道幅は狭く、時に踏む外したら滑落しそうなところも少なくないが、よほど気を抜かなければ問題ないだろう。しばらく背後に酉谷小屋を振り返りつつ、日原の懐深い谷間を眺めながら、遠くに見える尾根に目をやる。遠いのか、近いのか。
8時過ぎ、水松山付近に到着。ここは天祖山から下る分岐点だが、もう迷いはない。長沢背稜踏破に向けて、山頂を目指す。雪はくるぶしを少し越えるぐらいで、傾斜はややきつくなる。なんとか登りきったがどこが山頂かわからなかった。ノンストップで通過。このあたりは迷いやすいとmorikatuさんから忠告を受けていたが、おそらくそのアドバイスとは全く違う場所でルートを誤りそうになった。山頂の先に分岐点があるのだが、左に行けば天祖山、右は長沢背稜というポイントで、道なりに進むと左へ行きそうになる。コンパスを当て、早めに気付いたのが幸いだった。
続けざまに長沢山へ。すると本日初めての人間に遭遇。40過ぎのベテランの方で、少しお話しした。アイゼンしたほうがよいか尋ねると、「いらないでしょう」とのこと。現に雲取からここまでアイゼンなしで来たそうだ。だったら着けなくてもいいか、と思いたくなる。人の意見に流されやすい私は、きっと人の意見に流されて遭難するタイプだ。
9時過ぎ。長沢山に到着。長沢とつくぐらいだから、この背稜を代表する立派な山頂かと思っていた。が、ここもどこが頭頂部かわからない。それらしきものを探してみたが、それっぽいものは見つからなかった。名前の由来ぐらいあってもいいと思うのだが、これぞマイナールートの侘しさか。ここでおなかが空いてきたのでソイジョイを取り出して食べる。朝も結局ソイジョイ1本。ふだん飽食なのに、不思議と山に入れば節食だ。
これが長沢山の山頂の印か。違うか。まぁいいや。
北の方角から強い風が吹いてくる。芋ノ木ドッケを登りながら、体がよろけそうになるほどの強さだ。昨晩着替え、ベースはキャプ3なのだがそれでも寒い。冷えるといったほうが正しいだろうか。震えながら、長沢背稜の起点、芋ノ木ドッケの登頂に成功。しかし、喜ぶ間もなく後にした。ドラマならガッツポーズで叫ぶところだろうが、あいにく私はアンチクライマックスな性質だ。
芋ノ木ドッケの山頂近く。
遠くに見えるのが雲取だろうか。
芋ノ木ドッケの下りがひどかった。路面は浮き砂利かアイスバーンかの二者択一で、傾斜もきつい。ここだけで三度も転倒した。一度などは完全に腰が宙に浮き、ストックが下敷きになるのを避けようと不自然な倒れ方をしたら、滑り落ちる体が止まらず岩か何かを掴んでようやく事なきを得た。前回の山行きで破けたパンツをシルネットで補修しておいたのだが、再び裂けてしまっている。本来ならこここそアイゼンの出番なのだろうが、足場が悪くて装着しようにもできなかった。これは大きな教訓として覚えておこう。
大ダワに着いたのが11時半。午前中に雲取到着は無理になった。石尾根縦走をあきらめ、鴨沢に下りていくことにする。毎度、やり残すことが増えて、何度も来る羽目になる。もはや確信犯的ではある。
雪もだいぶ深くなってきた。
13時過ぎ、本物の雲取山荘に到着。バスの時刻表があったので、見ると鴨沢発奥多摩行きで17時50分というのがあった(これは後で見間違いだと気付くのだが)。中には誰もいないので、「コーラ1本もらいました」のメモと500円玉を残し、拝借。しかし、なんというか、おいしくない。コーラは山を下りてから。これも教訓として覚えておこう。
一泊7500円。ペットボトルは400円。
雲取山へのトレイルにはロープが張られている。これなら道に迷いようがない。東京都最高峰というわりには傾斜もゆるく、苦もなくすいすい登っていく。と、突然視界が開けた。山頂だ。そこにあったのは一面の雪と、青い空。
休む間もなく下りていく。時間は14時を回っている。17時50分のバスに乗るためには、遅くとも15時半には七ツ石まで達しておかねばなるまい。走ろうかと思ったが、ここまですでに7時間も歩きっぱなしだ。私のひ弱な足裏が悲鳴を上げる。
日当たりが良いためところどころドロドロだ。
鴨沢へ下る分岐の先に、標識があった。「鴨沢バス停まで110分」とある。時刻は15時50分。バスが17時50分だとすれば、ギリギリだ。わずかなタイムロスを惜しみ、歩きながらチーカマを食べた。ソイジョイ2本にチーカマ1本。この日は結局それしか食べなかった。
と、休憩スポットらしきところに、バス停の時刻表があった。
これを見ると、バスの時間は18時39分。山荘で確認したのは17時50分。どちらが正しいのだろうか。疑心暗鬼になるが、結論は一つ。とにかく急ぐことだ。鬱蒼と茂る杉林を抜け、眼下に家とアスファルトが見える。あと少しで下山だ。木々の切れ目で尾根を望むと、またしてもそこには満月が昇っていた。
中央に満月。肉眼では巨大に見えたが。
17時35分、山道がついに終わりアスファルトの上に立つ。バス停はどこだ。登山者風の3人の男たちが座って楽しそうに騒いでいる。もしやそこで待てばバスが停まってくれるのか。尋ねると「いや、バス停は下のほうじゃないっすかね」と私の背後に指をさす。どうやら彼らは車で来ているようだった。
彼らが示すほうに向かうが、いっこうにバス停らしきものは見当たらない。というか、山の奥深いほうへ戻っているかのようだ。タイムリミットが近づき、引き返すと、下りてきた山道のまん前に看板があった。「鴨沢」は真逆を示している。そして先ほどの3人組はもういなかった!
急ぐがもう17時50分を過ぎている。「鴨沢 近道」とあったので杉林の間の道を抜ける。真っ暗なので、ヘッドライトを灯す。あの辛かったナイトハイクの記憶が蘇る。
18時15分、バス停に到着。時刻表を照らす。18時39分とあった。ザックを下ろし、倒れるようにベンチへ座る。テルモスのお湯はまだあたたかく、ココアを淹れると生き返った気がした。
◆
こうして私の長沢背稜踏破の挑戦は無事に終わる。最後はさすがに慌てたものの、今回の旅程を通じて一度も大きなトラブルに見舞われなかったことに、驚きを禁じえない。成功を喜ぶ?いや、物足りない気持ちでいっぱいだ。
長沢背稜だけで、三度も私を楽しませてくれた。まだ、御岳山方面は手付かずだし、川苔山周辺ももう少し攻めなければならない。ああ、秩父方面へ抜けていくルートも探査しがいがありそうだ。時に厳しい洗礼を浴びせながらも、この素人の私を快く受け入れてくれた奥多摩の山々の懐深さに、私は感謝の念が絶えないのである。
にわかには信じがたいことだが、昨日、地球の軌道上でロシアの通信衛星とイリジウムの商用衛星が衝突したそうだ。確率的にはいかばかりか。めっきり数字に弱い私にはまるで見当もつかないが、「かつて空は青かった」と子どもたちが教えられて育つ日がやって来るのかもしれない。スペースデブリというやつのせいで。
しかし長沢背稜で見上げていた空のはるか上で、人類史上初めての交通事故が発生するなんて、そのときの私には知る由もなかった。そこにはただただ丸い満月が、稜線上から昇っていただけだ。
◆長沢背稜 踏破の記録 第二日目
稜線上に登る月。
携帯のアラームを消すと、午前5時半をさしていた。昨夜は本を読みながら寝入っていたようだ。おそらく就寝は21時。すると8時間超は寝ていた計算になる。充分だ。筋肉痛も襲ってこない。起きた瞬間から体のほうは準備万端だった。
ところが、今日の行程がまだ決まっていない。予定では長沢背稜をもう少し歩いて、一泊するか、天祖山から下山するはずだった。水をくもうと外に出ると、あたりはまだ薄暗く、稜線上には満月が昇っている。そういえば前回、谷を越えた向こう側で、この満月を見ていた。寒さに震えながら、コーヒーを手に、たどり着けなかった長沢背稜の上で嘲笑うかのように登る月を、ただじっと見ていたのだ。
ようやくここに来れたのか。初めてその実感が沸いた。同時に、なんだ軽いもんだな、という気がしてきたのも事実だ。まるで長沢背稜を歩くことが大冒険かのように感じていた自分がばかばかしく、いくら初心者とは言えその臆病ぶりが情けない。恥ずかしくってブログも書けやしないじゃないか。
よし、ここはいっちょ、足を伸ばしてみるか。まず長沢背稜の踏破。次に、雲取山をピークハントし、そのままの勢いで石尾根縦走だ。コースタイムにして12時間超。長丁場だが、今の時間からなら帰りの電車にも間に合うだろう。二泊の予定を一泊で。ハバHPを持ってきた意味がなくなるが、まぁそれは仕方ない。できれば午前中には雲取山に登頂し、昼食を取って15時までには七ツ石山に達しておきたいと思った。
クランポンは履かなかった。ここまでところどころ凍結箇所はあったが、ストックでバランスを取れば難なくクリアできたし、装着してまた外さなければならなくなったときの手間が嫌だったからだ。
支度を整え小屋を出たのが6時40分。霧というべきか、雲というべきか。日原の谷に向かって、ドライアイスが発する煙のようなそれが、流れるように急降下していく。フワっとしていて、地表面近くに達すると、しばらく余韻を残して静かに消えていった。風の音はしたが、静かな世界だった。
背稜から流れてきた雲が
谷底へ吸い込まれていく。
酉谷から先は昨日までの雪と地面の比率が逆転する。日の当たる箇所以外はほとんど雪で、踏み跡は二つか三つ。だから踏みしめられて凍結している部分は多くなかった。今日も天気は快晴。気温は0℃前後。順調だ。
酉谷小屋近く。
場所によって雪があったりなかったり。
どちらかというと上り調子の平らなトレイルを進む。道幅は狭く、時に踏む外したら滑落しそうなところも少なくないが、よほど気を抜かなければ問題ないだろう。しばらく背後に酉谷小屋を振り返りつつ、日原の懐深い谷間を眺めながら、遠くに見える尾根に目をやる。遠いのか、近いのか。
8時過ぎ、水松山付近に到着。ここは天祖山から下る分岐点だが、もう迷いはない。長沢背稜踏破に向けて、山頂を目指す。雪はくるぶしを少し越えるぐらいで、傾斜はややきつくなる。なんとか登りきったがどこが山頂かわからなかった。ノンストップで通過。このあたりは迷いやすいとmorikatuさんから忠告を受けていたが、おそらくそのアドバイスとは全く違う場所でルートを誤りそうになった。山頂の先に分岐点があるのだが、左に行けば天祖山、右は長沢背稜というポイントで、道なりに進むと左へ行きそうになる。コンパスを当て、早めに気付いたのが幸いだった。
続けざまに長沢山へ。すると本日初めての人間に遭遇。40過ぎのベテランの方で、少しお話しした。アイゼンしたほうがよいか尋ねると、「いらないでしょう」とのこと。現に雲取からここまでアイゼンなしで来たそうだ。だったら着けなくてもいいか、と思いたくなる。人の意見に流されやすい私は、きっと人の意見に流されて遭難するタイプだ。
9時過ぎ。長沢山に到着。長沢とつくぐらいだから、この背稜を代表する立派な山頂かと思っていた。が、ここもどこが頭頂部かわからない。それらしきものを探してみたが、それっぽいものは見つからなかった。名前の由来ぐらいあってもいいと思うのだが、これぞマイナールートの侘しさか。ここでおなかが空いてきたのでソイジョイを取り出して食べる。朝も結局ソイジョイ1本。ふだん飽食なのに、不思議と山に入れば節食だ。
これが長沢山の山頂の印か。違うか。まぁいいや。
北の方角から強い風が吹いてくる。芋ノ木ドッケを登りながら、体がよろけそうになるほどの強さだ。昨晩着替え、ベースはキャプ3なのだがそれでも寒い。冷えるといったほうが正しいだろうか。震えながら、長沢背稜の起点、芋ノ木ドッケの登頂に成功。しかし、喜ぶ間もなく後にした。ドラマならガッツポーズで叫ぶところだろうが、あいにく私はアンチクライマックスな性質だ。
芋ノ木ドッケの山頂近く。
遠くに見えるのが雲取だろうか。
芋ノ木ドッケの下りがひどかった。路面は浮き砂利かアイスバーンかの二者択一で、傾斜もきつい。ここだけで三度も転倒した。一度などは完全に腰が宙に浮き、ストックが下敷きになるのを避けようと不自然な倒れ方をしたら、滑り落ちる体が止まらず岩か何かを掴んでようやく事なきを得た。前回の山行きで破けたパンツをシルネットで補修しておいたのだが、再び裂けてしまっている。本来ならこここそアイゼンの出番なのだろうが、足場が悪くて装着しようにもできなかった。これは大きな教訓として覚えておこう。
大ダワに着いたのが11時半。午前中に雲取到着は無理になった。石尾根縦走をあきらめ、鴨沢に下りていくことにする。毎度、やり残すことが増えて、何度も来る羽目になる。もはや確信犯的ではある。
雪もだいぶ深くなってきた。
13時過ぎ、本物の雲取山荘に到着。バスの時刻表があったので、見ると鴨沢発奥多摩行きで17時50分というのがあった(これは後で見間違いだと気付くのだが)。中には誰もいないので、「コーラ1本もらいました」のメモと500円玉を残し、拝借。しかし、なんというか、おいしくない。コーラは山を下りてから。これも教訓として覚えておこう。
一泊7500円。ペットボトルは400円。
雲取山へのトレイルにはロープが張られている。これなら道に迷いようがない。東京都最高峰というわりには傾斜もゆるく、苦もなくすいすい登っていく。と、突然視界が開けた。山頂だ。そこにあったのは一面の雪と、青い空。
休む間もなく下りていく。時間は14時を回っている。17時50分のバスに乗るためには、遅くとも15時半には七ツ石まで達しておかねばなるまい。走ろうかと思ったが、ここまですでに7時間も歩きっぱなしだ。私のひ弱な足裏が悲鳴を上げる。
日当たりが良いためところどころドロドロだ。
鴨沢へ下る分岐の先に、標識があった。「鴨沢バス停まで110分」とある。時刻は15時50分。バスが17時50分だとすれば、ギリギリだ。わずかなタイムロスを惜しみ、歩きながらチーカマを食べた。ソイジョイ2本にチーカマ1本。この日は結局それしか食べなかった。
と、休憩スポットらしきところに、バス停の時刻表があった。
これを見ると、バスの時間は18時39分。山荘で確認したのは17時50分。どちらが正しいのだろうか。疑心暗鬼になるが、結論は一つ。とにかく急ぐことだ。鬱蒼と茂る杉林を抜け、眼下に家とアスファルトが見える。あと少しで下山だ。木々の切れ目で尾根を望むと、またしてもそこには満月が昇っていた。
中央に満月。肉眼では巨大に見えたが。
17時35分、山道がついに終わりアスファルトの上に立つ。バス停はどこだ。登山者風の3人の男たちが座って楽しそうに騒いでいる。もしやそこで待てばバスが停まってくれるのか。尋ねると「いや、バス停は下のほうじゃないっすかね」と私の背後に指をさす。どうやら彼らは車で来ているようだった。
彼らが示すほうに向かうが、いっこうにバス停らしきものは見当たらない。というか、山の奥深いほうへ戻っているかのようだ。タイムリミットが近づき、引き返すと、下りてきた山道のまん前に看板があった。「鴨沢」は真逆を示している。そして先ほどの3人組はもういなかった!
急ぐがもう17時50分を過ぎている。「鴨沢 近道」とあったので杉林の間の道を抜ける。真っ暗なので、ヘッドライトを灯す。あの辛かったナイトハイクの記憶が蘇る。
18時15分、バス停に到着。時刻表を照らす。18時39分とあった。ザックを下ろし、倒れるようにベンチへ座る。テルモスのお湯はまだあたたかく、ココアを淹れると生き返った気がした。
◆
こうして私の長沢背稜踏破の挑戦は無事に終わる。最後はさすがに慌てたものの、今回の旅程を通じて一度も大きなトラブルに見舞われなかったことに、驚きを禁じえない。成功を喜ぶ?いや、物足りない気持ちでいっぱいだ。
長沢背稜だけで、三度も私を楽しませてくれた。まだ、御岳山方面は手付かずだし、川苔山周辺ももう少し攻めなければならない。ああ、秩父方面へ抜けていくルートも探査しがいがありそうだ。時に厳しい洗礼を浴びせながらも、この素人の私を快く受け入れてくれた奥多摩の山々の懐深さに、私は感謝の念が絶えないのである。
2009年02月09日
長沢背稜 踏破の記録。【第一日目】
こんにちは。鳥です。
あれはたしか九九の掛け算を覚えたばかりの頃で、小学校2年か3年当時の記憶だ。「なんでいつも息を吸ったり吐いたりしなきゃいけないのか?」と思ったのである。吸って吐く、この1サイクルを10秒間で2回に抑えたとしても、1分間に12回。1時間に720回で、一日に1728回、一ヶ月で51840回・・・そこまでで計算するのをやめた。一生のうち、途方に暮れるほどの呼吸を繰り返さなければならないと知って絶望した私は、「どうして息をしなきゃいけないの?」という愚かな質問をぶつけ、母親をも絶望させてしまったのである。
草野球では逆シングルで捕球する癖が一向に直らず、「正面で捕れ!」とよくコーチに怒鳴られたものだし、TSUTAYAのレンタルは延滞料金込みがデフォルトだ。ヒゲを剃るのもネクタイを締めなきゃならないのも馬鹿らしいのでサラリーマン然とした仕事もやめたし、ポストは常にチラシの山で埋まっている。もうすぐバレンタイン?毎年トラックをさばくのでウンザリさ。
要するに何が言いたいかというと、私は極度の"めんどくさがり屋"なのだ。
にもかかわらず、二度挫折した長沢背稜の踏破をあきらめなかった。稜線としては「あの貧弱な」と揶揄されてもおかしくないボディラインが、それほどまでに私の中の情念を狂わせるのか。いくらセクシーな女性にだって、二度も袖を振られたらあきらめるのに。不思議なものだ。
◆長沢背稜 踏破の記録 第一日目
天気晴朗 ナレドモ 荷ガ重シ
9時過ぎ、奥多摩駅に到着し、バスを待っていると脇から見覚えのある大きな体の男性が現れた。ここに場違いなスーツ姿で。「まいうー」でおなじみの石ちゃんだった。刑事ドラマかなんかの撮影だろうか、ディレクターが「みなさん自然体でお願いしまーす」と言うので、いつものようにぼーっと突っ立っていた。何の作品か知らないが、ひょっとしたら私も、"バス停で突っ立ってるハイカーA"役で出演しているかもしれない。
じつに場違いないでたちだ。
9時33分のバスに乗り、東日原で下車。ヨコスズ尾根を登り、長沢背稜へ最短距離でのアプローチを目指す。ただ、ここはいきなりの急登。文字通り、九十九折れの連続。前回、ひどい目に遭った場所だ。当時より装備は整ったはずだし、体力も付いたと思うが、いかんせん荷物が重い。フロントポケットのハバHPとザックの中のクランポンの存在が背中に重くのしかかる。10時15分、登頂開始。
z-liteがかなり主張している。
気温は10℃前後。レイヤリングはファイントラックのフラッドラッシュ スキンメッシュ(半袖)にpatagonia キャプ2、ホグロフスのバリヤーベスト、そしてアウターは3年ぐらい前にセールで拾ったTNF FLIGHT JACKET。下はブレスサーモのタイツにいつものpatagonia バックカントリーガイドパンツ、靴はバスク ベクターミッドだ。
中でもバリヤーベストがすこぶる調子いい。アウターの防風性がイマイチというか無いに等しいので風を受けると両腕が冷えるのに対し、体幹はあたたかさを保ったままだ。むしろ袖がない分、わきから内部の湿気を逃がすのにちょうどいいとさえ思えてくる。ストックを振り回せばどうせ腕はあたたまるのだから。
きつい急登は最初の1時間。前回は休み休み登ってたのに、今回は一度も腰を落とさず登りきった。あんなにヒィーヒィー騒いでたのが嘘のようで、汗はかいたし息も切れたが前回のような暗澹とした悲壮感はない。あまりに集中しすぎて写真を撮り忘れたのが惜しまれるぐらいか。雪はなく、地面は乾いて歩きやすい。12時50分、一杯水避難小屋に到着。ほぼコースタイム通りだ。
小屋前のベンチで昼食。熱湯を注いでから7時間たったがテルモスに入れたお湯はまだ「あたたかい」というより「熱い」ぐらい。メニューは目黒駅の東急ストアで見つけたマルタイの棒ラーメン、残ったスープにフリーズドライのしらす雑炊を投入した。ややしょっぱかったが満足。食後のチャイを楽しんでいると、小屋の中からトンカントンカン聞こえてくる。「おや、まさか」と思ったら、中からおっさんが出てきた。手招きしながら「おーい、こっちはあったかいぞぉ」と呼んでいる。前回きたときベーコンを振る舞ってくれたおっさんだ。
"ここはひとつ以前の礼をせねば"と思う反面、今日はなんとしても酉谷まで進んでおかなければならないので、ここであんまりのんびりもしていられない。何より、roadmanさんの鉄の意志をも砕いたあのストーブが、煌々と薪を燃やしていたら、二度と出れなくなってしまうではないか。そんな葛藤に悶えること5分。「おーい、ストーブに火入れたぞぉ」。
念のため、ザックは外のベンチに置いてきた。これは、そのままシュラフを広げないためのリスクヘッジである。おっさんに前回の礼を言い、覚えているのか忘れているのか一向に噛み合わないまま会話が続き、気付けばおっさんが一方的に世の不景気を嘆いたりする流れになっていた。そこで唐突に「酉谷の小屋って使えるんですかね?」と聞くと、「あんな場所に立てるから崩落するんだよ、ばかだよなぁ」またも愚痴をこぼしながら、「まぁ、派手に寝返りでも打たなきゃ大丈夫だろうよガハハハハ」と気分よく盛大に笑う。「先を急ぐんで」と別れを告げ外に出ると、「にーちゃん、またな!」という声が扉の向こうから聞こえた。
時間はすでに13時40分。日没までには酉谷避難小屋までたどり着きたいものだが、ここから先はいよいよ長沢背稜の始まりなのである。急ぎたいが、慎重に気を引き締めて歩みを進める。風が出てきて、日陰も多くなり寒くなってきたのでOR ミスリルストームシェルを着る。しかしまだ雪はほとんどない。ところどころ、3~5m幅ぐらいの固まった雪の名残がある程度。本来の予定では、一杯水でクランポンを装着するはずだったのだが。
三ツドッケの分岐。雪は少ない。
トレイルはほぼフラットのゆるやかな登り調子。時に沢筋を伝う狭いラインもあるが、おおむね歩きやすい。時折、木々の切れ目から川苔山や蕎麦粒山が垣間見えてなつかしい気分になるが、前方に見える山々がどれにあたるのか私はまだ知らない。あれが雲取だろうか、鷹ノ巣がそれで、すると石尾根というのはこれか。
このときはまだそれらの山々が自分には無縁だろうと思っていた。
徐々に雪の残るゾーンも増えてきて、ところどころ凍結。
16時をすぎたあたりで、疲労が目立つようになってきた。なにせ昨日の睡眠時間は3時間弱。半分寝かけながら、一度はスリップしかけてハッとすることもあった。日も傾き、心細い気持ちにもなり始めたところ、遠くの斜面に小屋が見えた。16時30分、酉谷避難小屋に到着。
酉谷避難小屋。扉は未施錠。個人の別荘のようなたたずまいだ。
崩落箇所。ブルーシートが張られる。
小屋前の水場でスーパーデリオスに注水。レポは近日まとめる予定。
小屋には誰もいない。一人で貸切状態。そういえば今日、山で出会ったのは一杯水のおっさんだけ。いくら人気のないコースだからといって、土曜日なのにさびしいものだ。しかし、人気(ひとけ)のないコースというのなら、なかなか悪くないと思う。外は気温2℃、中は5℃くらいある。せっかくなので、全裸になってみた。いや、変質的な意味合いでではなく、ウェットティッシュで全身を拭くためだ。さすがに途中は寒かったが、替えの上下を着るとすぐにあたたかくなり、生き返る。夕飯はα米のカレーピラフに、ブロッコリーのクリームパスタ。ずいぶんしっかり食べてしまった。
18時を過ぎればあたりはすでに真っ暗だ。orbitの頼りない灯火に照らされ、食後のコーヒーを飲みながら、しばし今日の行程を振り返る。なんのトラブルもなく、予定通りここまで来れた。こんなに順調なのは初めてなので、不安ばかりが押し寄せてくる。明日はなにか起こるんじゃないか、もっと険しいコースが待ってるんじゃないか。初心者が単独でこの時期に、ちょっと荷が重過ぎるんじゃないのか?
小屋に雑記帳があった。記念にこう書き残した。
「天気晴朗 ナレドモ 荷ガ重シ」
続きもあるが、これはやな先輩に確かめてもらおう。
あれはたしか九九の掛け算を覚えたばかりの頃で、小学校2年か3年当時の記憶だ。「なんでいつも息を吸ったり吐いたりしなきゃいけないのか?」と思ったのである。吸って吐く、この1サイクルを10秒間で2回に抑えたとしても、1分間に12回。1時間に720回で、一日に1728回、一ヶ月で51840回・・・そこまでで計算するのをやめた。一生のうち、途方に暮れるほどの呼吸を繰り返さなければならないと知って絶望した私は、「どうして息をしなきゃいけないの?」という愚かな質問をぶつけ、母親をも絶望させてしまったのである。
草野球では逆シングルで捕球する癖が一向に直らず、「正面で捕れ!」とよくコーチに怒鳴られたものだし、TSUTAYAのレンタルは延滞料金込みがデフォルトだ。ヒゲを剃るのもネクタイを締めなきゃならないのも馬鹿らしいのでサラリーマン然とした仕事もやめたし、ポストは常にチラシの山で埋まっている。もうすぐバレンタイン?毎年トラックをさばくのでウンザリさ。
要するに何が言いたいかというと、私は極度の"めんどくさがり屋"なのだ。
にもかかわらず、二度挫折した長沢背稜の踏破をあきらめなかった。稜線としては「あの貧弱な」と揶揄されてもおかしくないボディラインが、それほどまでに私の中の情念を狂わせるのか。いくらセクシーな女性にだって、二度も袖を振られたらあきらめるのに。不思議なものだ。
◆長沢背稜 踏破の記録 第一日目
天気晴朗 ナレドモ 荷ガ重シ
9時過ぎ、奥多摩駅に到着し、バスを待っていると脇から見覚えのある大きな体の男性が現れた。ここに場違いなスーツ姿で。「まいうー」でおなじみの石ちゃんだった。刑事ドラマかなんかの撮影だろうか、ディレクターが「みなさん自然体でお願いしまーす」と言うので、いつものようにぼーっと突っ立っていた。何の作品か知らないが、ひょっとしたら私も、"バス停で突っ立ってるハイカーA"役で出演しているかもしれない。
じつに場違いないでたちだ。
9時33分のバスに乗り、東日原で下車。ヨコスズ尾根を登り、長沢背稜へ最短距離でのアプローチを目指す。ただ、ここはいきなりの急登。文字通り、九十九折れの連続。前回、ひどい目に遭った場所だ。当時より装備は整ったはずだし、体力も付いたと思うが、いかんせん荷物が重い。フロントポケットのハバHPとザックの中のクランポンの存在が背中に重くのしかかる。10時15分、登頂開始。
z-liteがかなり主張している。
気温は10℃前後。レイヤリングはファイントラックのフラッドラッシュ スキンメッシュ(半袖)にpatagonia キャプ2、ホグロフスのバリヤーベスト、そしてアウターは3年ぐらい前にセールで拾ったTNF FLIGHT JACKET。下はブレスサーモのタイツにいつものpatagonia バックカントリーガイドパンツ、靴はバスク ベクターミッドだ。
中でもバリヤーベストがすこぶる調子いい。アウターの防風性がイマイチというか無いに等しいので風を受けると両腕が冷えるのに対し、体幹はあたたかさを保ったままだ。むしろ袖がない分、わきから内部の湿気を逃がすのにちょうどいいとさえ思えてくる。ストックを振り回せばどうせ腕はあたたまるのだから。
きつい急登は最初の1時間。前回は休み休み登ってたのに、今回は一度も腰を落とさず登りきった。あんなにヒィーヒィー騒いでたのが嘘のようで、汗はかいたし息も切れたが前回のような暗澹とした悲壮感はない。あまりに集中しすぎて写真を撮り忘れたのが惜しまれるぐらいか。雪はなく、地面は乾いて歩きやすい。12時50分、一杯水避難小屋に到着。ほぼコースタイム通りだ。
小屋前のベンチで昼食。熱湯を注いでから7時間たったがテルモスに入れたお湯はまだ「あたたかい」というより「熱い」ぐらい。メニューは目黒駅の東急ストアで見つけたマルタイの棒ラーメン、残ったスープにフリーズドライのしらす雑炊を投入した。ややしょっぱかったが満足。食後のチャイを楽しんでいると、小屋の中からトンカントンカン聞こえてくる。「おや、まさか」と思ったら、中からおっさんが出てきた。手招きしながら「おーい、こっちはあったかいぞぉ」と呼んでいる。前回きたときベーコンを振る舞ってくれたおっさんだ。
"ここはひとつ以前の礼をせねば"と思う反面、今日はなんとしても酉谷まで進んでおかなければならないので、ここであんまりのんびりもしていられない。何より、roadmanさんの鉄の意志をも砕いたあのストーブが、煌々と薪を燃やしていたら、二度と出れなくなってしまうではないか。そんな葛藤に悶えること5分。「おーい、ストーブに火入れたぞぉ」。
念のため、ザックは外のベンチに置いてきた。これは、そのままシュラフを広げないためのリスクヘッジである。おっさんに前回の礼を言い、覚えているのか忘れているのか一向に噛み合わないまま会話が続き、気付けばおっさんが一方的に世の不景気を嘆いたりする流れになっていた。そこで唐突に「酉谷の小屋って使えるんですかね?」と聞くと、「あんな場所に立てるから崩落するんだよ、ばかだよなぁ」またも愚痴をこぼしながら、「まぁ、派手に寝返りでも打たなきゃ大丈夫だろうよガハハハハ」と気分よく盛大に笑う。「先を急ぐんで」と別れを告げ外に出ると、「にーちゃん、またな!」という声が扉の向こうから聞こえた。
時間はすでに13時40分。日没までには酉谷避難小屋までたどり着きたいものだが、ここから先はいよいよ長沢背稜の始まりなのである。急ぎたいが、慎重に気を引き締めて歩みを進める。風が出てきて、日陰も多くなり寒くなってきたのでOR ミスリルストームシェルを着る。しかしまだ雪はほとんどない。ところどころ、3~5m幅ぐらいの固まった雪の名残がある程度。本来の予定では、一杯水でクランポンを装着するはずだったのだが。
三ツドッケの分岐。雪は少ない。
トレイルはほぼフラットのゆるやかな登り調子。時に沢筋を伝う狭いラインもあるが、おおむね歩きやすい。時折、木々の切れ目から川苔山や蕎麦粒山が垣間見えてなつかしい気分になるが、前方に見える山々がどれにあたるのか私はまだ知らない。あれが雲取だろうか、鷹ノ巣がそれで、すると石尾根というのはこれか。
このときはまだそれらの山々が自分には無縁だろうと思っていた。
徐々に雪の残るゾーンも増えてきて、ところどころ凍結。
16時をすぎたあたりで、疲労が目立つようになってきた。なにせ昨日の睡眠時間は3時間弱。半分寝かけながら、一度はスリップしかけてハッとすることもあった。日も傾き、心細い気持ちにもなり始めたところ、遠くの斜面に小屋が見えた。16時30分、酉谷避難小屋に到着。
酉谷避難小屋。扉は未施錠。個人の別荘のようなたたずまいだ。
崩落箇所。ブルーシートが張られる。
小屋前の水場でスーパーデリオスに注水。レポは近日まとめる予定。
小屋には誰もいない。一人で貸切状態。そういえば今日、山で出会ったのは一杯水のおっさんだけ。いくら人気のないコースだからといって、土曜日なのにさびしいものだ。しかし、人気(ひとけ)のないコースというのなら、なかなか悪くないと思う。外は気温2℃、中は5℃くらいある。せっかくなので、全裸になってみた。いや、変質的な意味合いでではなく、ウェットティッシュで全身を拭くためだ。さすがに途中は寒かったが、替えの上下を着るとすぐにあたたかくなり、生き返る。夕飯はα米のカレーピラフに、ブロッコリーのクリームパスタ。ずいぶんしっかり食べてしまった。
18時を過ぎればあたりはすでに真っ暗だ。orbitの頼りない灯火に照らされ、食後のコーヒーを飲みながら、しばし今日の行程を振り返る。なんのトラブルもなく、予定通りここまで来れた。こんなに順調なのは初めてなので、不安ばかりが押し寄せてくる。明日はなにか起こるんじゃないか、もっと険しいコースが待ってるんじゃないか。初心者が単独でこの時期に、ちょっと荷が重過ぎるんじゃないのか?
小屋に雑記帳があった。記念にこう書き残した。
「天気晴朗 ナレドモ 荷ガ重シ」
続きもあるが、これはやな先輩に確かめてもらおう。
2009年02月09日
山と高原地図2009発売日。
こんにちは。鳥です。
山と高原地図2009は、2/12発売予定だそうです。
先ほど紀伊国屋にて。
2008を探してたんですが、どこ行っても「奥多摩」だけ売り切れ。利尻とかアルプスとかいっぱいあるのに、「奥多摩」だけねーんですよ!毎年だいたい冬前になくなっちゃうんですかね。というより、冬から始める人がおかしいんですか。仕方なくroadmanさんから借りたやつのコピーを後生大事に持ち歩いてきたんですが、コピー範囲をミスって雲取方面がナッシング。破けたり濡れたりでそろそろ限界だし、早く手に入れたいものです。そして次の計画を・・・とその前に、レポを書かねばならぬですか。
山と高原地図2009は、2/12発売予定だそうです。
先ほど紀伊国屋にて。
2008を探してたんですが、どこ行っても「奥多摩」だけ売り切れ。利尻とかアルプスとかいっぱいあるのに、「奥多摩」だけねーんですよ!毎年だいたい冬前になくなっちゃうんですかね。というより、冬から始める人がおかしいんですか。仕方なくroadmanさんから借りたやつのコピーを後生大事に持ち歩いてきたんですが、コピー範囲をミスって雲取方面がナッシング。破けたり濡れたりでそろそろ限界だし、早く手に入れたいものです。そして次の計画を・・・とその前に、レポを書かねばならぬですか。
タグ :山と高原地図
2009年02月07日
2009年01月28日
女性に振り回されるのならまだしも。
こんにちは。鳥です。
長沢背稜踏破計画の実行を目前に控え、着々と準備は整ってきましたが、かなしいことに、天気は週末に向けて下り坂。10数年振りにテルテル坊主でもつくろうかな、なんて。
麓付近は雨、標高上がるにつれて雪、っていう感じでしょうか。日曜から持ち直すようなので、ひとまず1日目は一杯水避難小屋に、2日目は天候回復を待って出発、とするべきかなと思ったりしています。しかし、雪が積もってトレースがなくなっていたら、ルートを迷わず進む自信がありません。
山の天気は変わりやすいと昔から言いますが、女性の気まぐれみたいなもんかとなめてかかったら、痛い目に遭ってしまいそうです。「失敗知らず」と掲げたぐらいですので、ここはひとつ万全を期すため、延期も視野に、イチから計画を練り直すことにします。
長沢背稜踏破計画の実行を目前に控え、着々と準備は整ってきましたが、かなしいことに、天気は週末に向けて下り坂。10数年振りにテルテル坊主でもつくろうかな、なんて。
麓付近は雨、標高上がるにつれて雪、っていう感じでしょうか。日曜から持ち直すようなので、ひとまず1日目は一杯水避難小屋に、2日目は天候回復を待って出発、とするべきかなと思ったりしています。しかし、雪が積もってトレースがなくなっていたら、ルートを迷わず進む自信がありません。
山の天気は変わりやすいと昔から言いますが、女性の気まぐれみたいなもんかとなめてかかったら、痛い目に遭ってしまいそうです。「失敗知らず」と掲げたぐらいですので、ここはひとつ万全を期すため、延期も視野に、イチから計画を練り直すことにします。