藪は抜けたか?

tori-bird

2010年02月23日 03:58

もし仮に人生をやり直せるとしたら、モデルとして忠実に再現したい人物がいる。その男、一見すると険しいが、よく見ると顔の一つひとつの皺にまで優しさをたたえ、なるほど、年頃の女子をさんざん惑わしてきたのだろうと容易に見て取ることができる。天は二物を与えずというが、さらに神は気前よく麗しき愛妻と可愛い子供たちを彼に与え、代償に絶望的な、あまりに絶望的な喉の渇きの苦しみを課すことで、辛うじて世界の均衡は保たれたのだ。

その男、浴びるように酒を呑む。かつて二晩をともにし、素面の彼に出会うためには三日目の朝を待たねばならなかった。だれがウーロン茶のペットボトルにストレートのウイスキーが満たされていると思うだろう?お茶を飲むがごとく、さらさらと、アルコール45度の蒸留酒を呑み干す姿は今も鮮明に覚えている。

そんな風だから今回も大酒を呑むのだろうと、なかば期待して眺めていた。ところが予想を裏切り、もっとも一滴もとは言えないが、彼にしては嗜む程度の酒量に抑えられていた。酔っていても、山の話を始めるとき、その男の表情には一瞬の緊張が走る。ましてや厳冬期の雪山。謙虚な山への畏れが、彼に自省を促すのだろう。2月20日から21日にかけて、八ヶ岳は黒百合平でのことである。


晴天ならその山行は99%成功だというが、それは本当だろうか。
道すがら出会ったハイカーが、「昨晩は-23℃に達した」と言う。「-20℃を想定した装備で来るように」事前に伝えた計画に誤算はなかったか、少なからず不安がよぎる。ちょうどよくその男は、「私の友人がね、6000mクラスでもシュラフカバーだけで過ごすと言うんですよ」といったエピソードを持ち出し、心配を勇気に変え、失態を帳消しにするのだ。

その男、万事がそんな調子なのである。炊事に洗濯と掃除、四六時中を家族のために身を粉にして働きながら、わずかな時間をつくって自分の仕事に励むのである。呆れるぐらいに自分の事は二の次で、いつだって自分以外の人のため、である。周りに気遣いをさせないように、苦しいときや辛いときこそ、感情をひた隠すのである。

だからその男が朝まで震えてむせび泣いていた姿など、そのときのだれが想像し得ただろうか。黒百合平の夜半の冷え込みは相当厳しい。ビールは氷結し、次に口をつけるとコーヒーは冷たくなっていた。風こそなかったが温度計は-18.5℃を記録し、厳冬期用のシュラフを持たない者には容赦なく過酷な夜が待ち受けていたのだ。

しかしそのときもしだれかがダウンを貸そうとしても、「私は大丈夫ですから」と断るに違いなかった。そのときもしだれかが寒さに耐え切れないと告げたなら、奥歯をかたく噛み締めなけなしのシュラフを差し出したろう。掛け替えのない、命代わりのシュラフをだ。そして独り震える夜を過ごしながら、ほかにだれか凍える人はいないか心配するのである。吹き荒れ凍て付く極寒の稜線であれ、灼熱の砂漠であれ、彼の取る行動はいつも同じ。その男とは、つまりはそういう男なのだ。


テン場の様子。


暮れていく。


翌朝は雲海が見えた。


東天狗岳に登る。


日差しがとても強かった。

そんな彼とはいつも少しだけしか話さない。なぜだろう?もっともらしい説明はいくらでもできるが、どうもそこには卑屈な言葉が並びそうで気が滅入る。その分、彼がだれかと話している様を見て、学び研究しているのだとでも言っておこう。

今回、彼と交わした数少ない会話の中から、波乱に満ちた半生の一端を知ることができた。すると顔にたたえた優しさの中に、微かな哀愁が見えたような気がした。だれかに似ていると感じさせるその寂び枯れた風情が、ああ、あの人かと思い当たる。酒で身を崩しかけたところなどそっくりじゃないか。帰りの車中はずっと、私の頭の中にあの曲が流れていた。

I've been waiting so long
To be where I'm going
In the sunshine of your love.
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