北海道ツーリング・ハイク(1日目・2日目)

tori-bird

2009年09月08日 02:17

彼女は土足で踏み込んできた。
もっともチャイムは壊れていたが、
ノックぐらいしてもいいだろうに、
履いていたサンダルを脱ごうともせず、
彼女はいきなり部屋に上がりこんできた。

授業の参考書だかなにかをまとめて手に取り、
私のいるテーブルのそばに鍵を投げてよこして、

「それじゃ、わかっているだろうけど、さよなら」

とだけ無感情に言い捨て、ドアを閉めて出ていった。
何か言い返す猶予すら与えてくれなかった。
たしかにその短い台詞の余韻を残さず立ち去るためには、
サンダルを履き直すコンマ数秒の時間でも惜しかったのだろう。

そこまで計算高い女だとは思わなかった。

すべての女が計算高い生き物だと知るようになるには、
それからさらにいくつかの失敗を重ねなければならなかった。

ああ、余計なことは語るまい。
彼女とは大学4年間のうち3年間をともに過ごし、
初めての北海道にも一緒に旅立ったのだった。
旅行に間に合わせるようにバイクの免許を取得した彼女は、
半クラも坂道発進もUターンもろくにできないにも関わらず、
買ったばかりの中古のエストレヤで、私の後をついてきたのだ。

「あんな汚いところ、泊まりたくない」

と、直截的に口に出したわけじゃない。
が、二年あまりも一緒にいれば、言われなくたってわかるものだ。

私は終始、むくれ顔になった。おもしろくなかった。
こう言うと、ひどい男だと思われるだろう。
私は一人で北海道を旅したくなった。
ライダーハウスやキャンプ場を泊まり歩き、
旅人との出会いにその後の人生に影響を与え、
私を開眼させる何かが待っているはずだと思ったからだ。

北海道は自由で開放的な大地などではなかった。
物々しい閂が通された、制約と束縛の牢獄だった。

それから一年後の夏も、彼女とは相変わらず続いていた。
しかし、今度は一人で北海道へ旅立ったのだ。
彼女には一言も告げずに。

逃避行の結末は、すでに述べた通りだ。

◆北海道ツーリング・ハイク1日目

走り始めるとまもなく雨雲に追いつかれた。

空港をおり、ペダルに足をかける。
休養充分とはいかなかったが、
時速40kmを前後するスピードで
私と私を乗せたLook555は、
旭川近郊の市街地を快走していたところだった。

なに、すぐやむだろう。

つぶやいたとたん、目の前が雨しぶきで霞んだ。
雨宿りした商店の屋上にはバケツを持って潜んで
いる人がいて、軒下にいるみじめな男に目掛けて
なみなみと注がれた水を浴びせかけているようだった。

百発百中、正確無比。

彼は熟練の腕前で、私がどの庇に隠れようと狙いを
外すことはなかった。

やがてびしょ濡れになった。
あわててレインウェア(Integral Designs Thru hikers Jacket)を
着込んだが、こんなに早くEventの防水性および透湿性にすべてを
託すような展開になろうとは思いもよらなかった。

このあと主人公は竜巻に巻き込まれ転倒するか、
雷に打たれるか、あるいは気が触れて目に付いた
山域に突入しそのまま帰ってこないのだろう。
物語のプロローグとしてなら最悪だ。
しかしこれは現実であり、まだ六日間の旅程の
ほんの一瞬を切り取っただけに過ぎない。
雨に打ちひしがれたのは体だけで、
いかな豪雨と言えど意気揚々とした私の心まで
折ることはできなかったのである。

空港からおよそ一時間走り、ウェアを着替えて出直した。
時速は40kmから20km前後まで落とし、慎重に走った。
すぐ脇を通過するトラックはすれ違いざまに車輪から
水しぶきを浴びせかけくるので、いちいち罵倒の言葉を
返すので忙しかった。

多少のアップダウンはあるが、おおむね平坦と言っていい
ルートで、旭川市街を抜けると周囲には田園地帯が広がり、
本来なら鼻歌を口ずさむか口笛を吹くかでもして走りたい
ロケーションであったはずだ。睡眠不足のわりには体調も
申し分なく、購入したばかりのビンディングペダルとシューズ
も足にしっくりとフィットしたので、つくづく天候不良が悔やまれた。


新鮮な牛乳で呪われた雨空ができるものか。

いつものことだが話は前後する。今回のルートを紹介しよう。

旅程は延べ六日間。旭川空港に降り立ち、一路北上し宗谷岬、
稚内を経て利尻島へ渡る。利尻山を登頂し、稚内空港から羽田へ。
ツーリングとハイクを組み合わせたハイブリッドな旅行と言えば
聞こえはいいが、短い休みにすべてを凝縮せざるをえない
サラリーマンの悲哀に満ちた旅計画でもあると言える。

まずは一日目。
できるだけ北上し、幕営適地を見つける。
計画に不備はないが、万全とは言いがたかった。

旭川から北に30km弱、国道40号線沿い「和寒」という街に
一軒のそば屋があったのでここで昼食とする。
全身びしょ濡れでも、あたたかく招き入れてくれた。
北海道人はおおむね旅人にやさしいのである。


きのこそばときのこのかき揚げ丼/800円ぐらいだったような。

店を出ると雨はやんでいた。
気分よくペダルを踏み込むと、
すぐに顔を雨粒がたたきつけた。
まったく、サディスティックな天候だ。


なんの狙いなく撮影しても、それなりの絵になる。

昼を過ぎると、夜の泊まりが心配になる。
どこか適当な場所で勝手に寝てしまえばいいのだが、
疲れた体で余計な神経は使いたくなかった。

iPhoneでTwitterにアクセスし、キャンプ場がないか尋ねてみる。
すると「名寄 トムテ文化の森」という回答がいくつか返ってきた。
すかさずiPhoneのマップで住所を検索すると、
当地までのナビが立ち上がる。これは便利だ。

かつて北海道にツーリングマップルを持っていかないなど
考えられなかったが、今回は持ってこなかった。
同様にいつの日か、iPhoneを持たずに旅に出る暴挙を
あざ笑う時代がやって来るのかもしれない。

目的地は決まった。距離にして50km弱。
最後のひと踏ん張りと言うには長すぎるが、
淡々と漕いでいれば夕方までには着くだろう。

途中、特に見るべきものはなかった。
雨雲と、雨粒と、ペダルやタイヤから跳ね返る雨しぶき。
そのほかは坂道になると限って吹いてくる向かい風くらいだ。

16時頃には名寄に到着した。
が、最後の最後で道を間違えてしまう。
100km近く走ってきたのに、斜度11%と書かれた坂道を登り、
さらに11%どころじゃない激坂をいくつか越えたところで、
どうもおかしいと引き返す。


この登りが体力的に最も堪えた。写真ではちっとも伝わらないのが悔しい。

キャンプ場は、平坦なところにあった。
料金は無料、近くに温泉もあった。


寝床。「ホームレスのほうがまし」と言われたのが精神面で最も堪えた。


「なよろ温泉」で食べた夕飯。食事と入浴料セットで1200円。

キャンプ場は蚊が多かった。
目をつぶって手をたたくと、二匹の蚊がつぶれていた。

◆北海道ツーリング・ハイク2日目

目覚めると朝の4時。
タープにバチバチと当たる雨音が聞こえた。
仕方なく、また眠る。
次に目覚めると周囲はすでに明るかったが、
相変わらず雨足は弱まる気配を知らない。

三度目に意識を戻したときには、
すでに時計は10時近い時刻を示していた。
雨はやみ、昨日とは打って変わっての好天だ。
暑いぐらいで、タープを撤収するだけでかすかに汗ばんだ。


林間にあるサイト自体は気持ちがよかった。

出発は10時半。
国道を外れ道道252号線を進んだが、
これがひどくきつい坂道だった。
登り開始30分で一日の体力を使い果たしたように感じた。

智恵文という市街地に入った。
するとここにきてようやく北海道らしい、牧歌的な光景に出会う。
あくせくペダルを回すのもばからしくなり、
しばらく景色を眺めながらのんびりと進んだ。


一面のひまわり畑に思わず心が和んだ。


が、陽気な気分でいられたのもここまでだった。
雨はやんだが風が強い。
平地を30kmペースで進んでいても、
強風で一気に15km付近まで減速させられる。
こいでもこいでも走らない。
昼前に美深へ到着したときには、もはや虫の息だった。

昼食をとり、目的地である浜頓別までは距離にして70kmほど。
今のペースだと18時を過ぎてしまう。
本日はブログで親交のあるnekopuuさんにお会いする日だ。
あまり遅くなりすぎると初対面にも関わらず、
お待たせすることになる。

急がなければ。

しかし、ペダルは踏んでも踏んでも進まない。
道のアップダウンも多くなり、
急坂で向かい風にやられることも少なくなかった。
いくら思いを募らせても、ペダルはひとりでに回ってくれない。
さきほどから弱音ばかりを書き連ねているが、
実際のところ死ねるものなら死にたいぐらい辛かったのだ。

もう自転車旅行なんかするもんかーと叫びながら、
浜頓別まであと20kmあまりを残すところになって、
nekopuuさんに追いつかれた。


リボンナポリンを飲んで体力回復中に背後から声をかけられた。


なかば強制収用された自転車。

あっという間に浜頓別・クッチャロ湖に到着。


ちょうど日が沈むところだった。


寝床を設営。ポールを逆向きにするとティピー風になった。※翌朝撮影

天気予報は風速8mと告げていた。
少し手を離すと紙やら袋やらが追いかけるのをあきらめたくなるほど
吹き飛んでいった。
タープなんか赤子の手をひねるように崩壊させるんじゃないか・・・
というわれわれの予想に反し、設営当時の形状を朝まで維持していた。


うまいジンギスカンというのは、現地で現地人がつくるジンギスカンのことだ。

夕食をご馳走になり、酒も飲まずに語らった。
聞くとnekopuuさん、じつに勇ましい経歴の持ち主だった。
南米最高峰のアコンカグアに単独で挑み、
登頂料金が高すぎるという理由だけで山頂目前で断念した逸話などは、
だれも見た目から想像することはできないだろう。

花や草木を愛し、好きが高じて植物調査の仕事をしているそうだ。
私もせめて花の名前の一つや二つぐらい覚えよう。
そう胸に誓ったが、教えてもらった花の名前はなんだったか、
もう思い出せなくなってしまった。
まぁ、名前なんてなんだっていい。
大切なのは花を愛でる心に違いないはずだ。

私の顔に疲れが色濃く見えたのか、
早い時間に「もう寝ませんか?」とnekopuuさんが気遣ってくれた。
お言葉に甘えて、早めに就寝とする。
地面の芝生の心地よさが、
かえって体のふしぶしの痛みを思い出させた。

その夜、こんな夢を見た。

タープの中で寝ている私の傍らに、
なにか巨大な動物が忍び寄ってくる。
豚だ。かわいらしい子豚ちゃんなんかではなく、
丸々と肥えた卑しい目付きの巨大な豚だ。

気配を悟った次の瞬間、
やつらは私の体のあちこちにのしかかっていた。

「なんだおまえら、どけよ」

と言って、追い払おうとするが体が言うことを利かない。
金縛りにあったかのように、全身が動かないのだ。
やつらはじわじわと私の体を圧迫し、
私の腕、肩、腰、そして足に覆いかぶさり、

「どかせるもんならどかしてみな」

と不敵な笑みを浮かべていた。

重みに苦しみながらもどうにか手を動かして、
テントの支柱になっていたワンダースティックを掴んだ。
そして豚の腹部に思い切り突き刺してやったのだ。

ピギィィー

という甲高い叫びが、突き刺したポールの肉感に伴って、
私の手に伝わってきた。叫びの静まりに合わせて、
巨大な豚たちも幻が霞んでいくように消えていった。

同時に私も夢から目を覚ました。
しかし、全身に覆いかぶさった巨大な豚の重みだけは、
夢から覚めても私の体から消え去ることはなかった。

つづく。
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