こんにちは。鳥です。
にわかには信じがたいことだが、昨日、地球の軌道上でロシアの通信衛星とイリジウムの商用衛星が衝突したそうだ。確率的にはいかばかりか。めっきり数字に弱い私にはまるで見当もつかないが、「かつて空は青かった」と子どもたちが教えられて育つ日がやって来るのかもしれない。スペースデブリというやつのせいで。
しかし長沢背稜で見上げていた空のはるか上で、人類史上初めての交通事故が発生するなんて、そのときの私には知る由もなかった。そこにはただただ丸い満月が、稜線上から昇っていただけだ。
◆長沢背稜 踏破の記録 第二日目
稜線上に登る月。
携帯のアラームを消すと、午前5時半をさしていた。昨夜は本を読みながら寝入っていたようだ。おそらく就寝は21時。すると8時間超は寝ていた計算になる。充分だ。筋肉痛も襲ってこない。起きた瞬間から体のほうは準備万端だった。
ところが、今日の行程がまだ決まっていない。予定では長沢背稜をもう少し歩いて、一泊するか、天祖山から下山するはずだった。水をくもうと外に出ると、あたりはまだ薄暗く、稜線上には満月が昇っている。そういえば
前回、谷を越えた向こう側で、この満月を見ていた。寒さに震えながら、コーヒーを手に、たどり着けなかった長沢背稜の上で嘲笑うかのように登る月を、ただじっと見ていたのだ。
ようやくここに来れたのか。初めてその実感が沸いた。同時に、なんだ軽いもんだな、という気がしてきたのも事実だ。まるで長沢背稜を歩くことが大冒険かのように感じていた自分がばかばかしく、いくら初心者とは言えその臆病ぶりが情けない。恥ずかしくってブログも書けやしないじゃないか。
よし、ここはいっちょ、足を伸ばしてみるか。まず長沢背稜の踏破。次に、雲取山をピークハントし、そのままの勢いで石尾根縦走だ。コースタイムにして12時間超。長丁場だが、今の時間からなら帰りの電車にも間に合うだろう。二泊の予定を一泊で。ハバHPを持ってきた意味がなくなるが、まぁそれは仕方ない。できれば午前中には雲取山に登頂し、昼食を取って15時までには七ツ石山に達しておきたいと思った。
クランポンは履かなかった。ここまでところどころ凍結箇所はあったが、ストックでバランスを取れば難なくクリアできたし、装着してまた外さなければならなくなったときの手間が嫌だったからだ。
支度を整え小屋を出たのが6時40分。霧というべきか、雲というべきか。日原の谷に向かって、ドライアイスが発する煙のようなそれが、流れるように急降下していく。フワっとしていて、地表面近くに達すると、しばらく余韻を残して静かに消えていった。風の音はしたが、静かな世界だった。
背稜から流れてきた雲が
谷底へ吸い込まれていく。
酉谷から先は昨日までの雪と地面の比率が逆転する。日の当たる箇所以外はほとんど雪で、踏み跡は二つか三つ。だから踏みしめられて凍結している部分は多くなかった。今日も天気は快晴。気温は0℃前後。順調だ。
酉谷小屋近く。
場所によって雪があったりなかったり。
どちらかというと上り調子の平らなトレイルを進む。道幅は狭く、時に踏む外したら滑落しそうなところも少なくないが、よほど気を抜かなければ問題ないだろう。しばらく背後に酉谷小屋を振り返りつつ、日原の懐深い谷間を眺めながら、遠くに見える尾根に目をやる。遠いのか、近いのか。
8時過ぎ、水松山付近に到着。ここは天祖山から下る分岐点だが、もう迷いはない。長沢背稜踏破に向けて、山頂を目指す。雪はくるぶしを少し越えるぐらいで、傾斜はややきつくなる。なんとか登りきったがどこが山頂かわからなかった。ノンストップで通過。このあたりは迷いやすいと
morikatuさんから忠告を受けていたが、おそらくそのアドバイスとは全く違う場所でルートを誤りそうになった。山頂の先に分岐点があるのだが、左に行けば天祖山、右は長沢背稜というポイントで、道なりに進むと左へ行きそうになる。コンパスを当て、早めに気付いたのが幸いだった。
続けざまに長沢山へ。すると本日初めての人間に遭遇。40過ぎのベテランの方で、少しお話しした。アイゼンしたほうがよいか尋ねると、「いらないでしょう」とのこと。現に雲取からここまでアイゼンなしで来たそうだ。だったら着けなくてもいいか、と思いたくなる。人の意見に流されやすい私は、きっと人の意見に流されて遭難するタイプだ。
9時過ぎ。長沢山に到着。長沢とつくぐらいだから、この背稜を代表する立派な山頂かと思っていた。が、ここもどこが頭頂部かわからない。それらしきものを探してみたが、それっぽいものは見つからなかった。名前の由来ぐらいあってもいいと思うのだが、これぞマイナールートの侘しさか。ここでおなかが空いてきたのでソイジョイを取り出して食べる。朝も結局ソイジョイ1本。ふだん飽食なのに、不思議と山に入れば節食だ。
これが長沢山の山頂の印か。違うか。まぁいいや。
北の方角から強い風が吹いてくる。芋ノ木ドッケを登りながら、体がよろけそうになるほどの強さだ。昨晩着替え、ベースはキャプ3なのだがそれでも寒い。冷えるといったほうが正しいだろうか。震えながら、長沢背稜の起点、芋ノ木ドッケの登頂に成功。しかし、喜ぶ間もなく後にした。ドラマならガッツポーズで叫ぶところだろうが、あいにく私はアンチクライマックスな性質だ。
芋ノ木ドッケの山頂近く。
遠くに見えるのが雲取だろうか。
芋ノ木ドッケの下りがひどかった。路面は浮き砂利かアイスバーンかの二者択一で、傾斜もきつい。ここだけで三度も転倒した。一度などは完全に腰が宙に浮き、ストックが下敷きになるのを避けようと不自然な倒れ方をしたら、滑り落ちる体が止まらず岩か何かを掴んでようやく事なきを得た。前回の山行きで破けたパンツをシルネットで補修しておいたのだが、再び裂けてしまっている。本来ならこここそアイゼンの出番なのだろうが、足場が悪くて装着しようにもできなかった。これは大きな教訓として覚えておこう。
大ダワに着いたのが11時半。午前中に雲取到着は無理になった。石尾根縦走をあきらめ、鴨沢に下りていくことにする。毎度、やり残すことが増えて、何度も来る羽目になる。もはや確信犯的ではある。
雪もだいぶ深くなってきた。
13時過ぎ、本物の雲取山荘に到着。バスの時刻表があったので、見ると鴨沢発奥多摩行きで17時50分というのがあった(これは後で見間違いだと気付くのだが)。中には誰もいないので、「コーラ1本もらいました」のメモと500円玉を残し、拝借。しかし、なんというか、おいしくない。コーラは山を下りてから。これも教訓として覚えておこう。
一泊7500円。ペットボトルは400円。
雲取山へのトレイルにはロープが張られている。これなら道に迷いようがない。東京都最高峰というわりには傾斜もゆるく、苦もなくすいすい登っていく。と、突然視界が開けた。山頂だ。そこにあったのは一面の雪と、青い空。
休む間もなく下りていく。時間は14時を回っている。17時50分のバスに乗るためには、遅くとも15時半には七ツ石まで達しておかねばなるまい。走ろうかと思ったが、ここまですでに7時間も歩きっぱなしだ。私のひ弱な足裏が悲鳴を上げる。
日当たりが良いためところどころドロドロだ。
鴨沢へ下る分岐の先に、標識があった。「鴨沢バス停まで110分」とある。時刻は15時50分。バスが17時50分だとすれば、ギリギリだ。わずかなタイムロスを惜しみ、歩きながらチーカマを食べた。ソイジョイ2本にチーカマ1本。この日は結局それしか食べなかった。
と、休憩スポットらしきところに、バス停の時刻表があった。
これを見ると、バスの時間は18時39分。山荘で確認したのは17時50分。どちらが正しいのだろうか。疑心暗鬼になるが、結論は一つ。とにかく急ぐことだ。鬱蒼と茂る杉林を抜け、眼下に家とアスファルトが見える。あと少しで下山だ。木々の切れ目で尾根を望むと、またしてもそこには満月が昇っていた。
中央に満月。肉眼では巨大に見えたが。
17時35分、山道がついに終わりアスファルトの上に立つ。バス停はどこだ。登山者風の3人の男たちが座って楽しそうに騒いでいる。もしやそこで待てばバスが停まってくれるのか。尋ねると「いや、バス停は下のほうじゃないっすかね」と私の背後に指をさす。どうやら彼らは車で来ているようだった。
彼らが示すほうに向かうが、いっこうにバス停らしきものは見当たらない。というか、山の奥深いほうへ戻っているかのようだ。タイムリミットが近づき、引き返すと、下りてきた山道のまん前に看板があった。「鴨沢」は真逆を示している。そして先ほどの3人組はもういなかった!
急ぐがもう17時50分を過ぎている。「鴨沢 近道」とあったので杉林の間の道を抜ける。真っ暗なので、ヘッドライトを灯す。あの辛かった
ナイトハイクの記憶が蘇る。
18時15分、バス停に到着。時刻表を照らす。18時39分とあった。ザックを下ろし、倒れるようにベンチへ座る。テルモスのお湯はまだあたたかく、ココアを淹れると生き返った気がした。
◆
こうして私の長沢背稜踏破の挑戦は無事に終わる。最後はさすがに慌てたものの、今回の旅程を通じて一度も大きなトラブルに見舞われなかったことに、驚きを禁じえない。成功を喜ぶ?いや、物足りない気持ちでいっぱいだ。
長沢背稜だけで、三度も私を楽しませてくれた。まだ、御岳山方面は手付かずだし、川苔山周辺ももう少し攻めなければならない。ああ、秩父方面へ抜けていくルートも探査しがいがありそうだ。時に厳しい洗礼を浴びせながらも、この素人の私を快く受け入れてくれた奥多摩の山々の懐深さに、私は感謝の念が絶えないのである。