トリストーリー。

tori-bird

2009年03月05日 01:10

こんにちは。鳥です。

生まれも育ちも横浜の私は、よく人から「都会ですね」などと言われたものだが、栄えているのはベイエリアぐらいなもので、海から離れてしまえば原風景に近い自然が残っている地域も珍しくなかったのだ。今から22、3年前に私の住んでいた公営住宅の近隣には野山もあったし、小川ではザリガニが釣れ、開発業者が切り開いたおかげで住処を失ったタヌキが道路で轢かれてペッタンコになっているのを見かけたのも一度や二度ではなかった。子ども心に都会ははるかかなたの別世界だと思っていたし、東京から転校してきた子を見て垢抜けたその姿に気後れを感じることもあった。

そんなわけだから最寄の駅に「マクドナルド」ができると聞いて、クラスは大騒ぎになった。
学級新聞ではトップニュースとして扱われ、黒板の一角では「開店まであと●日」とカウントダウンまで始まっていた。ただ、今でこそミーハーな一面を隠そうともしない私だが、当時はどこかひねた子どもだったので、マクドナルドぐらいでばかみたいに騒ぐクラスメイトを鼻で笑っていたものである。そのくせ気になって気になって仕方なくて、買い物に出かける母親に「絶対マクドナルド買ってきてね!」とお願いしていた。ちゃっかりしているのは今と少しも変わりない。

その感動の味わいは、今も忘れられない記憶としてしっかり残っているが、私は何もマクドナルドの宣伝がしたいわけではないし、どうやら「昔と変わらぬ味」とうたっているようなので、どうしても気になる方は店に足を運んでみるとよい。当時の私に話しを戻すと、要するにマクドナルドごときで大騒ぎしているクラスメイトを出し抜き、"その先"の世界に一足早く行ってしまいたかったのである。そう、ケンタッキーフライドチキンだ。

しかし、マクドナルドが庶民の味だとすれば、ケンタッキーは高嶺の花。両親に何度おねだりしても、「テストで100点取れたらね」だとか、営業会社の悪社長のように非現実的な目標設定のインセンティブとしか見なしてくれない。食べれないとなれば、ますます食べたくなってくるのが人間の常だ。それなら努力して100点取ればいいじゃないかと言われそうなものだが、たしかに、その通り勉学に励んでいれば、今ごろもっとえらい人になっていたかもしれない。

ところで当時、私は一羽のオスのセキセイインコを飼っていた。「ピー」と鳴くから名は「ピーちゃん」。エメラルドグリーンとブルーと黄色とが混ざったパステルカラーを身にまとう風格からは、宝飾品で着飾った貴婦人さながら、気品が感じられた。とはいえ、気品と品の良さは似て非なるもの。唐突にカゴに手を入れれば噛み付くし、いくら訓練を重ねても手乗りを覚える気配すらなかった。

まぁ、そんな愛嬌のないピーちゃんであったが、年頃になれば嫁さんの一つもあてがってやらねばなるまい。近所のペットショップでメスのセキセイインコを買ってくると、その美しいパステルカラーにうっとりしたのか、すぐにピーちゃんの嫁はしおらしくなって、ツガイの夫婦生活が始まった。一ヶ月もしたころ、カゴを見ると卵が二つ三つ転がっている。初めは「おおー!やったー!」と喜んだものだし、誕生した雛を見て生命の神秘に触れた思いがしたものだ。

だが、飼い主に似ずすけこましなピーちゃんは、いつまでたっても衰える気配を見せない。毎月のように新しい雛が生まれ、気付けば小さなカゴに6、7羽のセキセイインコが溢れる有り様。家中に響く鳴き声が絶えることはなく、どこまで増えるのか見当もつかない魔のねずみ算に、私は戦々恐々とした思いで日々を過ごしていた。

ある朝、異変に気付いた。ピーちゃんご自慢のパステルカラーな羽の色に、赤い色が混じっているのだ。よく見たら、カゴの床に一羽倒れている。羽の色は真っ赤に染め抜かれていた。「これはネコにやられたのか!」反射的にそう思ったが、しかし、カゴはベランダの物干し竿に吊るされている。いくらなんでもこの高さまで、ネコの爪が届くかどうか。それも一羽だけ仕留めるなんて、不自然といえば不自然。あるいはカラスの仕業かもしれない。近所の子どもがいたずらした可能性もゼロではないだろう。

悲しみに暮れながら犠牲になった一羽を埋葬したが、せめてもの救いはピーちゃんがどこにも傷を負うことなく、無事だったことだ。きっと襲ってくる敵から守ろうと、最後まで我が子の盾になって返り血を浴びたに違いない。闘いの興奮さめやらぬ雰囲気で、しばらくギラギラした目で落ち着かない様子であったが、私はその勇気に感動し、ピーちゃんを大いに見直したものだ。

ところが、悲劇はこれで終わらなかった。何日かして、また床に倒れた一羽を発見した。ベランダから室内にカゴを移したのにも関わらず、また何日かすると、今度は一気に二羽の子どもが倒れている。やはりピーちゃんは返り血を浴び、いつしか洗い落としても拭い去ることのできない薄黒い色が、美しいパステルカラーを覆い隠すようになっていた。

しまいにはピーちゃんの奥さんまで犠牲になって、ようやく惨劇が終わった。残るはたった一羽のみ。だから、もう疑いようがない。真犯人は、ピーちゃんだ。

思うに、繁殖に比例してカゴが狭くなったことが遠因となったのだろう。ストレスからイライラが募り、トチ狂ったピーちゃんが凶行に走ってしまったのである。人間と同じで、生態の棲息する密集度と異常な行動に駆り立てる確率は比例するのかもしれない。それから半年ほどして、波乱に満ちたピーちゃんの半生も幕を閉じた。

もうインコなんか飼いたくない。トラウマになりかけるほど固く胸に誓ったはずだが、しばらくすると、なんだか部屋でインコの鳴き声が聞こえないのがさびしく思えてくるのである。「今度は増えすぎないようにきちんと管理するから」と頼み込み、懲りもせずまた新しいインコを買ってもらったのだ。やはり「ピー」と鳴くから、「ピーちゃん」と名づけた。パステルカラーとまではいかないが、ピーちゃん譲りのエメラルドグリーンを基調とした美しい色合いは、かつての楽しかった日々を思い起こさせるには充分だった。

しかし、新生ピーちゃんの一生も、あっけないものだった。ペットショップから家に帰り、搬送用の狭い梱包から解いて部屋の中を自由に羽ばたかせていた矢先のこと。ピーちゃんが、台所のほうに向かっていく。方向感覚も自らの羽ばたくスピードもコントロールできなかったのだろう。慣れない羽を広げてバサバサ飛び交いながら、台所の壁に思い切りぶつかったのだ。

一瞬だった。ただ、その一連の出来事は、スローモーションのようにゆっくりだった。壁にぶつかったピーちゃんは、もがきながらきりもみ状に落下する。何より不運だったのは、母親がつくろうとしていた夕飯がフライだったことだ。高温となったフライパンの中に「バシャン」と落っこち、「ピーピーピー」と悲鳴をあげるピーちゃん。母親が慌ててフライ返しで取り上げるも、もはや手遅れだった。哀れにも5分とたたないうちに息絶えてしまったのである。

それを見た父親が、こう言った。

「ほら、フライドチキンだぞ」



こんにちは。鳥です。

そう書くたびに、私はこの笑えないブラックジョークを思い出すのだ。
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